書きたくない事

 今日も晴れている。下からは工事の音。晴れている。どこかへ行くのもいい。バイクにまたがって。車庫を開けるのがめんどくさいか。そりゃ失敬。どうも僕はタガが外れてしまっている。昨日の夜僕は商店街を抜けて歩いた。とてもじゃないが、辛い気持ちになったんだ。僕はこんなところで何をしているんだと思った。一体何をしているんだろう。どうでもいいんだ。僕はときのないところで生きている。

 

 メリットデメリット。はあ。ぼくはどうでもいい掲示板ばかり行き来している。本当にどうでもいい掲示板ばかりだ。どうすりゃいいんだと思う。そんなところにいってもあまり気持ちのいいものではない。過剰な表現はきらいだ。読む気が失せる。語彙が少なくなったという事で世界は単純になり生きる事と死ぬ事しかない原初状態になった。原初に戻り同じ歴史を繰り返すかと問われれば、それを回避するためにいかなる新しい道を模索するかであろう。しかし、一番楽なのは同じ事を繰り返す事に他ならない。退屈のあまり飽きがこない限りは回復し続けるだろう。

 私は今日髪を切る。髪なんてないほうがいい。煩わしい。髪を切っていないとろくな人間に見られないらしい。なんということだ。なんということだ。明るく切ってもらおう。髪が多いと暗い印象を与える。少ないとはつらつとした印象を与える。印象は自分に跳ね返ってくる。鏡のように。それに愛着を持ち続ける。醜くても美しくても。(ここで僕はありきたりな文を思い出す。醜さにはなれるが、美しさは失われていくばかり。それに耐える事ができるのか。失う事は、散財と同じ排泄の楽しみを持つが、醜さは排泄できず感情を吐露する事もできず、どこか鬱屈としている)僕は周囲の者から生成された現象に過ぎないらしい。僕という存在が現象なのだ。雪をあるくときに僕の神経は高ぶりそれが続くと怒りになる。南国で眠っていると僕の神経はだらけ、考えも曖昧に適当な人間になる。いずれにせよ、背伸びして生きるのは楽しくない。良寛が人気なのは彼が出世を諦めた境地に多くの人が共感と癒しを求めたからであろう。出世を諦める境地でも楽しめるものを見出す事に重きを置いたのであろう。徹底的に現実主義的であるのもまた面白い。面黒いという言葉もあるらしい。さて、私の文章はどちらかな。