アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ある女の心境

 ってか、私ってちょーいけてるじゃん。まじうけるんですけど。なんかアイドルが死んじゃったんだってねー。たいへんだね。って、誰が大変なんだろ。別に、私には関係ないし。関係ない人が死んだって公共の電波で流してほしくないよね。それなら、私が死んだ時も電波で流しやがれっての。そういや、女だったよね私。女ってどう考えても民主的なのに保守を渇望するのが面白いよね。男は逆だよね。どう考えても男は、一つの結論に行き着きたがるロマンチストってところよね。それくらいじゃないとカッコよくないんだけれど、行き過ぎると雑なのよね。そういう冷めた目で世の中を見ていれば疲れないし不幸にもならないから楽なのよ。いい生き方って変な希望を持たないことね。希望かなっちゃどうすんのよ。どう生きろっていうのよ。一体全体世の中がおかしいに決まってる。私はちっともおかしくない。だからおかしい世の中と気が合わない。SNSだってそろそろなくなるかもしれないから、それまでに友達作っとかなきゃなっ。だからといって、慌てふためき急ぎ焦るのはめんどくさいしわざとらしいのはやめて、流れに身を任せてるって感じかな。それってちょっともったいないよね。際限なく話が出てくるけど、話なんて話せばそれで目的達成。何も生み出さない不言実行大歓迎。ってところかな。余計なことはしちゃだめなんだよ。話したことなんてすぐ忘れちゃうし、記憶力もよくない、記憶する力がない。失敗ばっかし。失敗だけが人生なんて言われると、人生なんてまっぴらごめん。

 私の親だって私を捨てたに違いないのよね。ニューヨークタイムズの記事が読めるようになったらいいなーなんて、思いながら英語の勉強なんてろくすっぽせずに毎日パソコンに向かってキーボードをカチカチ撃ち鳴らす日々が続けば、相方も愛想をつかして私捨てられちゃうかもしれないな。そんなこと思いながら暮らすのって楽じゃない。じゃ頑張ればいいじゃんって思うかもしんないけど、私頑張るの嫌いなんだよね。嫌いな食べ物は何一つないんだけれど。

 八ツ橋は嫌いだったかな。あの匂いはダメだった。嫌いな食べ物ってさー、お腹の中にいるときに決まるんだってね。羊水に溶けた食べ物の匂いに親しみを持つようになるんだってさ。嫌いな食べ物がないってのも、親が偏食しなかったおかげなんだろうなって思う今日この頃。それでも、親をありがたく思えないなんて私はなんて不幸な子供なんだろうって親を気の毒に心の底から思うのまた今日に限った話じゃないんだな。

 世の人の生きる動機が趣味じゃなくて働くための休憩になるのを知ってたから、小さい頃から頑張るのが大嫌いだった。逆に頑張ることくらい簡単なことってないよね。耐えることなら私いくらでもできたけれど、自由になれる環境にいたらすぐに足を遠くに運ぶだけの体力も一緒に持ってたもんだから、力の使い道を間違えたってところかな。間違えたかどうかってのも怪しい。働いてる人ってのは奴隷であって、なんていい方すると反感買うからやめてるけれど、そんなもんだよね。そういう感覚になるってことは、奴隷になったことがないからなんだろうな。理不尽な世の中とはいうけれど、世の中はそういうもんであって、それを受け入れる受け入れないの話でもなくただ一切、砂漠の上を流れる時間と風。探し物は砂の楼閣。風に吹かれて塵となる。

 随分書いてきたけど、芸能ゴシップでもなけりゃ健康情報ってジャンルでもないから誰も読まない。政治とかいう脂ぎったおっさんが、愛想つかされた妻に金を貢ぎセックス奴隷を養い、その子の面倒もみるという超不健康な環境に身を置いて気が狂った人間が、大言壮語吐いて、民衆という馬鹿どもを先導するお世話がかりの厄介を自ら名乗り出ては「民衆」を持ち上げて金を巻き上げ、国会だとかなんとか、民主主義も機能しない場で徒党を組み、相手の話を理解しようとしないおしゃべり連中のばか野郎が集まって叫んでは、その気の毒な雄叫びを電波に乗せて全国のお茶の間やらセックス中の男女の喘ぎ声の副音声として流す変態盗撮根暗野郎がカメラ回して、今日もビルの灯りは夜中まで灯り、疲れましたと、己に溜まった乳酸菌、乳から垂れ流して飲む姿を想像しては勃起して、眉間よった皺どもの、アラウンドオールイヤーズのひとりが電車にはねられ死にましたってニュースが、たまにテレビで流れる時くらい、平和は今日も量産されてはしっかり消費されております。