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私は現代人が嫌いだ

 彼ら現代人のものを考えず始終スマホをいじり倒す哀れな姿を見ると飽き飽きする。飽きもしないでオワコンコンテンツを一所懸命に夢中になって寝転んでまでいじっている姿を見てペニスをいじり射精感覚を味わうガキのようにみえる。私がおかしいのか。おかしいのか、おかしくないのかはそう大事なことか。ユーモアを忘れちゃいけないね。私のはユーモアではなくて気持ちの悪い比喩だと認めなくちゃならない。それで自分自身酔っ払って気持ち悪くなってるんだから、少しは代償を払ったつもりでいるが一体誰に払ってるっていうんだろうね。一体全体人間というのは常に動き回っていないと死んじまう生き物なのかもしれない。頭の活動だって、体は少しも動いていないけれども、ちょっとは死んじまうということかもしれないね。将棋なんて、棋士は一勝負で3キロほどやせてしまうそうだ。羽生善治曰く、集中しすぎてこのまま帰れなくなる気分になるらしい。困ったもんだ。そういえば奥さんは評判が悪い。伊良部の奥さんも評判が悪いね。いや、本当のワルだったね。羽生さんの老年期が心配だ。人の心配なんてするくらい楽なことはないね。自分の心配なんていくらでもできる。人の心配ってのは気持ちのいい悪いじゃなくて自分についての心配の気をそらすって効能がありそうだ。独断と偏見でものを言っちゃいけないって。そりゃ失礼しました。なにせ直感なんてものは一回性の出来事を大事に把握するのが必要ですからね。お話に科学性を持ち出しているのは、あなたですけれどね。人が話す内容がすべて科学に則っていなくちゃならんと考えていることにご自身で気づいていらっしゃるのか、どうでしょう。そうですね。話を変えましょう。私は何者でもないので、何者でもない話し方をしましょう。ユングなんて人が居まして、彼は性格を作り出した。人の言動のパターンと言いましょうか。人が人を生業として生きてる商売の傾向を見たのです。別段それ以外に性格の使いようなんてありません。性格は商売道具と言っても過言じゃありません。純粋であるとかないとかを論じている間は決して純粋になりえません。それがわからない!そんな奴がごまんといます。私は純粋に何かをしている、ってのは宣伝広告としては一定の効果がありますけれども、何か脅迫を感じますね。そう感じるように強制する言い方であります。なぜ私はものの言い方にうるさいのでしょうね。勝手に言わせておけばいいじゃないかという人間もいますよね。彼らは、おそらく相手の話なぞ聞く度量を持たないのです。それは構わないんです、なぜなら、例えば消化不良を起こす食べ物を食べようとはしないほうがいいのですから。しかし、私は消化不良を起こす食べ物でも一応は食べてしまうのです。それが、優しいからという理由でなしに、相手が私に話をしてくれるということが非常に嬉しいからです。好意を持っているのかそうでないのかというのとも違います。私は非常に孤独なのでしょう。孤独な老人生活を今私は送っている気がしてならない。誰でもいいから、そばにいてほしい。誰でもいい。貧乏生活も楽しもうと思えば楽しめる。ソクラテスの時代に、テレビもない時代に、ソクラテス彼自身は実に対話を楽しみ時には酒を飲み大いに語らって昼間は友人と遊び暮らしていたのですから。現代は古代ギリシャ時代よりも一層に暮らしづらいと言ってもいいでしょう。人々の言論はレジャーに消費されてしまい、真の楽しみを失っています。真の楽しみは決して大きなものではなく繊細なものです。パンとサーカスの楽しみは、なんら楽しくはないのです。集団できな楽しみは本当に楽しくないのです。今の人がわかりません。虚数にいると、友人にこぼしたことがあります。行く先は派遣でしょうか。親に言われました。親が子の未来を占ってどうする。子は、親と共に歩かねばならぬのに。この自由を保障する育児放棄をいかに肯定しようと躍起にもならないで、私は植物状態と成り果て文章を書く悦に浸りながら夕方を待つ主婦の憂鬱を毎日忘れる夜の楽しみを感じ取るのです。街がよそよそしく私に冷たい風を吹き付けます。ポケットに手を入れ歩く姿はなんと貧相この上ないでしょう。私は衣服を買い、髪を整え、バイク趣味にうつつをぬかさなくちゃいけません。私を見失う経験につきものな過眠に悩まされ、熱中するべきことに人の同意を求める間決して自由にもなれなければ同意も得られないのを承知するべきであります。いかに金の使い方を教えようとしても、その教えが正しいのかさえ疑問に伏せばいいのです。そうすれば必ずやってくるのが暴君です。とにかく命令に従わなくてはならない。苦痛です。テレビのタレントの名前をすべて忘れたいです。彼らの人生は私の人生とは無縁です。無縁であってほしいです。もう終わった人たちです。彼らは英英んと猿真似をしてテレビの前で間抜けヅラを晒している。今すぐテレビなんて腐った生ごみは捨てるべきです。ニュースなんて、低俗な連中がみるものです。案外悪といい奴は紙一重ですから。そうです。もうこの世の中の区別がつかないのです。死んでいるのに影響を与えている書物もあれば、生きた人間が書いたものでありながら、糞のように垂れ流されている文章もあり、そんな記事を読みながら時間を過ごし、不快な気持ちと半端な知識とも言えない情報の断片を信じ切って検証もせず、しかし、宗教は嫌いだと抜かすおおよそのゆとり世代のバカ達のゆとりのなさにこの国の将来なぞ考えもしないでしょう。国を代表するなんて真似はゆとりはしません。そんな疲れることをしなくてもいいじゃないの、と。それで結構です。誰かが代わりにするだけです。そしてそれに順応して、嫌なことでも、笑顔で対応し愚痴はネットに書き込んで不満タラタラの朝を迎えるんです。生きているとおおよそ言えるでしょうか。否、私同様生きる意味を変えたいのです。仕事をして疲れて家に帰りビールを飲む。部活を終え疲れて家に帰り飯を食って寝る。学校が教えるべきは、勉強の内容でもなかったようなのです。失望しますね。社会主義に教養のある人物はいないのでしょう。制度がなければ崩壊するような国なのです。人と人は嫌いあっているのが、この国です。否、ヨーロッパはどこもそうかもしれません。法の統治下にある限り、暴君を押さえつけもできるでしょう。権力の集中を。しかし、とりまきが法を自らのものだと言わんばかりに改変すれば暴君の誕生です。法律の改変などして粉飾をごまかして黒字黒字と口外し国債を買わせて貨幣の流通我田引水を始める、経済はまやかしです。一度夢から離れると山河あり。どうして、目の前の事象を愛せないのでしょうか。目の前の出来事を愛せずに、ステータスばかりで生きている。それは、決して粋に通じちゃいないのを知るべきです。粋ってのは、元気であることで、虚構の中にも虚構を作り出しそれが現実化したとしても虚構として生き抜くことです。すべてはまやかし、脈絡もなければ、矛盾さえ愛おしい。ハプニングバーで淫部を露出する女に、舌を引きずり出して愛液を舐める男の剃り残したヒゲが、チクチクと肌を傷つけ、家に帰るなり女はクリームを塗りそれに感じ入り手淫に耽る頃白ボケた朝の電車に黒づくめの眼光鋭い粗暴なる男が股間を膨らませて女に目配せし、姿勢よくカッコつけてホテルの予約を取り付けわけもなく愛もなくセックスにふけ、我が物顔で東京の夜景にワインを注ぎ込む野暮。