資産を運用して、将来は好きなものを買って好きな時に好きなことをして生きていけるようにしよう。というのだろうか。資産は運用できても、人生に身をまかせることはできない。決まり切った毎日がやってきて、動かせるのは金くらい。手と足は縛られて、お金に羽が生えて飛んでいく。精神論万歳。何が資産運用だ。それを運用して、ベンツでも買って伊勢丹でお買い物か。わざわざゴミを高級車で買い付けに行くことはない。それがステータスだと思ってるのは、貧しい。人間としての面白みに欠ける。人工知能が好きになる人間の類だ。あんなもん、なくても生きてるじゃないか。先人たちは生きてきたじゃないか。きみは、自然の知識はなんにもしらない。自然の運用についても。まして、人間の心理や欲望さえも。俺は知ったつもりでいるのかしらん。それは良くない。知らないことは知らないと、言えるのが良い社会だ。先人たちは、とにかく生きてきた。だが、現代は、より合理的に生きようとしている。余暇、なるものをみとめない。まして、なにもしないことをみとめない。何もしないでいられる人間は天才だと、オスカーワイルドは言った。彼は、ゲイで牢獄に入れられた。19世紀後半の話。彼の獄中記を読みたいほどに、ワイルドの作品に恋い焦がれた。王子は、出遅れたツバメと過ごす。王子のきらびやかな装飾を、ツバメは貧しい人たちに運んでいく。ついに王子は、みすぼらしい銅像となった。ある、数学者が、これはみすぼらしいと言って実用的に再利用しようと考え、溶かされるのであった。恐怖は自分の中にある。自分の中の恐怖、偏見をどうみつめるか。冒険するしかない。傷つき、嗚咽し、悶え苦しみ、そして、快活に振る舞い、自由闊達に行動し、淡々と物事を受け入れいていく。なんという甘美。世の人たちは、あまりに快楽を追求しすぎて、そのあとにくる体のだるさを忘れている。シエスタシエスタ。ひなたぼっこだよ。太陽は、私たち全員に降り注ぐはずだ。そうだろ?