アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ぐーたら、熱意あるやつにはついていくな〜お前の熱奪われてまうぞ^^ 

 と、いうことで前回は頑張る奴は皆キチガイという話をしましたが、いや、してないっか。皆に記事を読んでもらうために、夜中バイトしてまで頑張ってるねえ、うんこ放出してるね。でも、おれ、うんこ食えない、ごめん!カレーは家で作れ!

 ということでね、外食は大概まずい説を唱えております。まあ、自分で作るものが一番美味しいですね。まあ、女ってのはですね、食事がまずくても店が綺麗なら、店も食べちゃいますからね。いいんです。飯がまずくたって。俺は食えないけど。どうやったらあのLEDダベられるなろう。色が変わるなあ。赤青黄色(黄色あんのか?)いちご、ハワイアンブルー、レモンみたいな?なんで、かき氷。ってなわけでね、ええ、まあ、なんとやら。人にアドバイスしちゃダメだよ。もう、やりたいようにさせたげて。その自由まで奪わんといて。死にたければ死なせればいい、そこまで言わなくても。はい、そうですね。反省、反省。ベロを出す。そういえば、言われましたわ。

 謝ったら、言い訳すなーってね、「でも」はダメです。日本は「demo」にキビシイアルネって、どこの国?そちらのお国のほうがって感じ?文体が古いってか?知るかボケしね。

 というわけでしてね、書くことありませーんってか、核エネルギーありません!非核化!しております。いつでも、制御棒抜けばいけるんですが、制御棒がなかなか抜けませんで・・・。ああ、髪切りたい。髪切れば少しは気持ちもすっきり快適快便万歳ざーい。

 真面目な人、気が狂ってる説は、たぶん真理。もっと不真面目になろっと!

 

 

かーん

「私」の死んだ時代

 見渡せば、いい空気じゃないか。人にたてつく人間も減り、過ごしやすくなった。親戚と縁側でうちわしながら食べる夏のスイカ。そんな時代じゃないか。「私」なんて死んじゃったね。どうしよう。お葬式。私ちゃんは、すごくアメリカとか西洋の文化を受け継ぐのに必死で自己主張を頑張ってしていたね。そのうち、本当の「私」を求めて、真理の追求に明け暮れ、それこそ乱読したね。哲学書を愛好していた。とても、自分勝手な奴で、そこが愛くるしくもあり、それに苦しめられもしていた。こだわりこそ「私」ちゃんの性分をしっかりあらわしていた。どうすればいいだろう。どうしたら「私」ちゃんは成仏するのだろう。恐らくは、恐らくは。そう、人間は答えを求めたがります。答えばかり、優先します。疑問は、ないほうがいいのです。「私」って?そんな疑問が持てたのは余裕があったからです。今は皆余裕がありません。不安がはびこります。すると、「私」ちゃんは休憩です。会えないのです。会いたくても。会えば、苦しいのです。「私」ちゃんは。なぜ辛いのか。みんなでタクシーに乗れば安いじゃありませんか。それと同じです。みんなと同じことをすれば安く済む。セックスも、遊びも趣味も。しかし、唯一バイクは違う。

言葉の海に飲まれて今日も私は神経痛

 神経痛ではありませんが、顔面麻痺でもございません。一度なったことがあるような。やばいよね。夢だったっけ。生きるとは神経との戦いですね。分厚い保護ケーブルを用意しましょう。調子が悪い時は皆が自分を責めているような気になりますね。だから外にも出たくないのです。外に出る気力なんてわきません。次第にこう考えます。やる気なんて存在しないのではなかろうかと。そう考えました。やる気は、後発的なものです。もし何かをやりたくない拒否反応があるのなら、それもやる気の一種でありましょう。多くの人はやる気があれば何でもできると思っておりますが決して違います。やる気は、本当に後から来るものなのです。嫌な人がいるから、行きたくない。もし嫌な人がいなくなったとしても、次なる障壁を作るでしょう。それはない、とあなたは言いますか?私は説得するつもりも持論に固執する気もございません。ただ、意識の流れを追っていきたいのです。そこに自然があるのでしょう。もし怠け者がいたら、考えてください。自分も怠けていいのだと。無理でしょう。怠け者は憎たらしいでしょう。だらしないでしょう。反面教師というかもしれない。それはそれでよろしい、立派な教師になりなさい。立派な教師ほど世の中に害悪を撒き散らす者もおりません。子供が卒業しても影で影響を与え続けるような教師は、いい教師ではありません、あなたにいい格好だけをその時期にピンポイントで見せつけることに成功した、ナルシストです。できるだけ、避けましょう。私は生きている人間に尊敬の眼差しを強く持つことはありません。調子がいい時と悪い時があるだけです。感謝は大事です。しかしそれはもちろん、自分のためです。この流れはよくないな、説教になっている。静けさほどいいものはない。相手の心中推しはかり、親しいものとは空気が流れる。若い人は常にフラストレーションのはけ口を、つまり、酒がないと狂えないので、酒に溺れますでしょうけれども、私なんかはもう、酒を飲む時は自分を奮い立たせて何かを憑依させるときに決まっています。次の日は必ず疲れます。酒を飲んだ次の日に、強い目的意識を伴う活動がない限り、しかもそれが身近でない限り、私は何もできません。私は彼女に感謝しなくちゃならないのです。私は要求ばかりするようになっていたのかもしれません。いまでも、もしかしたらそうかもしれません。言葉にも癖がありまして、例えば、グーグルで検索するとき頻繁に「f1」と入力して検索してしまいます。すると、今年に限れば日本語の文章でホンダの不調がニュース記事として現れます。ホンダは本当に苦戦していますね。顔が見えないから、応援する気も起きないけれども。アロンソを持ってきたのが間違いだね。アロンソのご機嫌とりに、インディーにやったり、アロンソは私の好きなドライバーだけど、早くないマシンに乗ってるアロンソなんて私は好きじゃない。アロンソ好きと言えば、自我が安定する。「f1」と入力すれば自我が安定して、気楽に過ごせるけれども、私はそんなつまらない男だったのかと絶望する。絶望して指も止まらぬ速さで彼女の淫部を濡らす。ぬるっとした感触が陰茎を伝わる。腰を押し付けしばらく感触を嗜んでいると白い液が付いてくる。精子よりかは濃い。つまりは、私は変態。しかも陰湿な。ああ、死にたい。

マジで

 やあ、だるいね。何もする気が起きないよ。書くこともないね。僕の頭の中はおかしくなってるなって思うなあ。それを書いたってしょうがないよ。金にならないことはしないってか?それ危ないよ。

手に届かぬ

 ああ、きょうもまた家事をしなくちゃならぬ、いつまでも猫のように眠っていられる私は病気かもしれませんからいつの日かそう遠くない時にふと消えてひとり誰にも見られないところにて勝手に死んでいるかもしれません。私はそういう人間でありますから、どうしようも救いなく、どう生きて良いのやら見当もつきませんで、アドバイスなど聞く耳を持ちませんから、アドバイスと反対の道に進むのが通例でございます故その辺を考慮して頂きものを申していただければ幸いかと存じます。

 女性について少し書きたいと考えております。私なんかが女性について書くと、石ころやら鋭い視線で殺されそうになるような気もしますが、そのような殺意を気にすることなく、バカの鈍感さで書きたいと思います。

 第一に、テレビのインタビューに答えるような女性に魅力を感じません。可愛くてキャッチーで今風を装っている風が気に入らないのです。世間に媚を売り股を広げて、問いかければ不気味な微笑が帰ってまいります。

 第一で終わり。考え付かないので終わりにします。最後に、

 言葉は、投げやりになってはいけませぬ。言葉こそ第一です。私は言葉を発する時に文章にしなければ、しどろもどろになって、なんにも言えなくなるのです。