アウトプット

相手の視点に立ってみよう

僕が死ぬ前に、そう、僕はこうして自分が死ぬであろうことを前提にしなくちゃ何も言えないのだ。現代は平和だから、と、まさに死の実感を得るために戦争という共同幻想が必要なくらい貧弱になりたくはないのだ。共同幻想は、素晴らしい治癒力を人々にもたらしている。世の中そのものが精神病院じゃないか。実感である。どうしたら喜びを実感できるのか。喜びを作り出すのなんだ。物か?人か?文字か?人間はあらゆることから欲望を作り出す。人のものを手に入れたい。でも、僕にはそれがない。人のものを羨むのはいい患者だ。特に経済というわけのわからない世の中の人々の想像の世界ではね。

どうでもいい

 危ないのだ。とにかく、何に対しても興味がないんだ。それが、長く続くとは思われない。無欲であるはずもない。ただ、じっかんがないのだから。実感がないとは恐ろしいことである。自分が得体も知れない環境で生息しているという恐怖である。誰にも理解されずに死んでしまうのは、本当に悲しいことなのかもしれない。人間はよく深いほうが健康的であろう。だから、戦争でさえもしかすれば健康的な人間のやることなのかもしれない。人間は本能が壊れた存在であり、本来はセックスと死しかないのだ。しかし、文化を作り出した。文化がないと生きてはいけないのだ。人間はあまりに多くの法律を作って世の中が幸せになるとした。しかし、そうでもないのは確かなことだ。いろいろなルールはただ、そもそもは空虚な世界である人間が、意味づけをしたにすぎない。それは、動物でないからできることなのだ。そもそも、動物を調べて人間がわかるはずもないだろう。人間をやめてから人間であるのがわかる。人間失格を書いた太宰治は、人間がどうしようもなく人の依存する様を描いている。人の次に文字が依存の対象になりうる。人に依存している間は、決して文字は依存の対象にならないような気がするのだ。文字と人は全く別個のものなのだから。お金の存在理由は知らないが、人間の際限ない欲望を制御する上で、お金は機能しているように考えられる。無駄なように見える行為をずっとさせて、戦争もないのに軍隊を置くのも人間が想像に寄って生きている証拠に十分なりうる。人間は想像的だ。想像の中でしか生きられないのが人間だ。ファンタジーな世界を愛するということは、ファンタジーに喜びを見出すということなのであるが、どうしてもつきまとうのは、なぜディズニーがこんなにも人気なのだろうかということなのだ。私にはわからない。しかし、関係がない。と、口癖になったような言葉を吐いてみても私は変わらない。赤名リカが、完治と別れて3年が経った頃東京の街角で偶然であったとき、完治に何をしているのか問われて、私は何をしたって私だよと言った。女はそうであるかもしれないが男は職業で語る。地位で語る。だから、僕は今非常に不自由のなのかもしれない。これは戦いなのかもしれないのだ。敵は己である。完全に己である。なぜならば、私が勝手に思い込んだルールに私自身が縛られているのだから。だから、これを理屈によって法律を廃止するのではなく、忘却によって法律を無視するしかないのだ。なぜならば、一度作られたルールをいつでもすぐに取り出せるようにするためだ。人間生きていて、ちっともいいことがないだとか、自動的に口が出てくる人は本当は幸せ何だろうと思うのだ。お前は幸せだろうと、幸せであるというアピールをしなくちゃならないのは不幸であろう。何を考えているのかわからないのはお互い様だ。友達なんかいらないんだからな。くそが。ああ、言いたいことも言えないんじゃない。言いたいことをいう言葉がないんだ。人に依存して生きるとは、かくも悲しいことなのか。別れが辛いのは、自分が死んでしまうからだ。相手の中にいる私こそが本当の私なのにね。それを知りたかったら外国へ行けばいい。日本語を話す人がいない外国において自分がいかに無力であり、言語に支えられて自分を作り上げてきたのかを知ればいい。全ては幻なのである。実感がないのは当然なのである。だから、私は至極真っ当すぎる人間なのである。そして、実感を作り出す能力が今私は衰えている。そう考えながら、今週も週末を迎え、今は夕方。暗い曇り空の秋は枯れ枝にぶら下がるみかんを想像させる。これもまた、実感である。

ビジネス右翼

 近頃は何もかもがビジネスに見えてきてたまらないのだ。どうすれば儲かるのか、そればかり考えている。どうすれば経済はうまくいくのか。経済がうまくいけば、次に来るのはうまくいかない経済だ。成長ばかりしていられないのではないだろうか。インフレを起こさなくちゃならないのなら、いつまでも働かなくちゃならない。老人は働けない。さあどうする。今大量の老人を抱えている日本。インフレになれば、さらに国債を増やすことになる。まだ、デフレでいい。思うのだが、お金で価値観を作りすぎているのだ。確かに、金を払えば何だも買える。欲望も満たせる。休みもね。でも、自分でものを作るのも楽しいのではないだろうか。それが売れればなおいいじゃないか。休みというけれども、楽しいことをしているときに休みたいだろうか。安全第一世界は動いているけど。代わりに、人間の感覚が麻痺している。ネットが発達したおかげで記憶力は衰退している。文章もろくに書けないでまとめサイトばかり見ている。これで人生が豊かになるはずがないではないか。なぜならば、幸せな気持ちは自分で作り出すものなのだから。全ては幻想である。目を失えば、美女は消える。耳を切り落とせば、もはや何も聞こえない。感覚に訴えかけてくるもの。それを純粋にキャッチできるか。それさえも、自分の内面化された言葉のふるいにかけられて意味を付与されるのだ。つまり、人間は言葉の奴隷であるにもかかわらず、その奴隷をうまく扱えないでいるからもどかしい気持ちで毎日を退屈に過ごしても問題ないと思い込んでいるんだ。欲望は限りない、なぜならば、欲望は満たされることがないから。では、なぜ浮気をしないで済むのか。はじめての女、女を獲得する喜び、それらはすべて強烈な喜びを男にもたらす。なぜだろうか、なぜ浮気をしない男が存在するのか。それは、欲望の充足を幻想だと切り捨てているからなのだ。これ以上いい生活を望むのなら、奴隷のように辛い思いをして金を貯めてうんざりするくらいの徒労を重ねて安らぎを得るのだ。これが奴隷しそうだと言ってみたところで人間が欲望の充足をもたらすためのひとつの手段であるのには間違いないのだ。支配層が、奴隷を働かせるというが、支配されている奴隷は自ら奴隷に地位に甘んじて節操もなく欲望の充足を求め奔走し、決して満たされることのない欲望のために一生を充実なものだというために、宗教的なほど同じような言葉に反応して、苦しみイライラするのだ。世の中は、欲望で回っている。世の中は、不満があるからこそ存在するのだ。経済の成長とは、不満が解消されていく過程だ。人々が個人的になりまとまりを失い、かつての集団的なうざさを忘れてまた一緒に共に同じ価値観の人間と暮らしたいという欲望にかられると、自国中心主義的な行動にかられてしまう人間が出てくる。これは自然なことなのだろうか。たしかに、ひとりでいるのは寂しいけれども、そのために仮想敵国を作って仲間を騙し自分は愛国者だという身内どうして共闘する。彼らの精神の底には、常に人間への不信感がある。なぜ王は宣誓させるのだろか。なぜ裁判で嘘をついたら罰を受けますと宣明するのだろうか。心底人間は人間に騙されてきたからだ。そして、人間は騙す気もなく相手が誤解して自分が騙されたと考える。だから、愛国者こそ被害妄想の塊なのだ。彼らが過ごしてきた日本を恨んでいる。このままではいけない日本に住み続けている。一体どういうことだ。今生きているこの世界がそのまま日本ではないか。彼らの理想なる日本の姿、つまり、愛国心を育てるような教育をするのが果たして真なる愛国者に育つだろうか。彼らこそ日本から出ていくべきだと考えたほうがいいんじゃないだろうか。現状に不満があってもそれが本当の日本の姿であると考えた上で行動するとしたらどうだろうか。幻想の中で、日本が作られている。真の日本は常に虚像である。虚像に対して人間はいくらでも無防備になれる。虚像は人を裏切らない。虚像は常に変更される、都合よく。現実を見渡せばどうであろう。あるべき日本の姿は、彼らの過ごした時代であろう。全くおかしな世の中だというとき、何がおかしいのかはっきりしない。自分の感覚がおかしくなったのだとは誰も思わない。おかしな世の中なのに、喜びも悲しみもある。にもかかわらずそれらを虚偽とみなすのは、おかしい。しかし、それもまた自分の妄想を守るためには必要な思い込みかもしれない。

 ①日本経済が破綻しても、日本人は生きなくてはらない

 ②その際、国内で衝突がないようにしなくちゃならない

 ③暴動を起こすほどの気力も元気もない日本人だから、安心すればいい

 ④しかし、法外なことをする連中が闊歩するようになる

 ⑤彼らこそが一番忌避するべき事態なのかもしれない。

 ⑥殺し、盗み、騙し、それらを蔓延させてはならない

自分でも気が狂っているのはわかるが、日本人が暴動を起こすのなら、それは普段から不満を持っていてどうしても法律の網にひっかかるので行動しなかった連中だ。彼らに正義はない。ただ、不満がある。それは決して解消されない。それがわからない、執念深いバカが世に出回れば厄介であること、それだけは共有できる価値観かもわからない。

自己主張

 わからない、自分が何を考えているのかもちっともわからない。話したくないことならたくさんある。やりたくないこともたくさんある。でも、やりたいことなどなにひとつないのだ。やりたいことをするには、たくさんのやりたくないことをこなさなくてはならない。そういう条件付きで、やりたいことをやるのは苦のである。したがって、なにもしたくないのだ。自分の感覚がわからない。わからないのだ。文字は他者である。他者といたずらに触れ合ってみる。文字が何であるかを調べる人はたくさんいる。文字は伝えるためにあるというの常識的な考えで、少し本を読めば文字は伝えるためという目的の他に、秩序の維持とか、あとは、他者を認識するためにあるという結論に至る。それは、自分がそう考えて得られた結論でないのは確かなのだ。私はひどく怯えている。ひどく。相手に求めすぎているのだ。やめよう。相手は何も返してくれはしないんだから。自分も相手に何もしてあげられないように。ね。そういうことじゃないか。好きだとか嫌いだとか、恋愛はもう嫌だとかめんどくさいだとか、思う気持ちもわかる。だから、それをどうしようっていうんじゃない。時間がすべてを決定してくれる。人間の意志なんてちっとも役たたないんだ。はあ、

肝臓に休日を

 とーんっといなくなって、さてどうしようかと途方に迷ってしまえば、世界は謎に満ちてしまう。どうも桜木けんとでーす。ケトン体ドバドバ出ちまって、ちょー健康体の桜木けんとでーす。

 横浜はいいところでーす。めっちゃいいところでーす。でも、たいしたことなく生きてまーす。

 って、さっきから何言うてるか全然いみがわからんやないか。第一お前の言うてること全く意味わからん。話の内容も意味わからんし、形容詞もまじ意味わからん。そんなんやから友達おらんのや。友達おらんからそういう話しかできんのや、全く哀れな話やで。

 おっと、そこまで。俺だってにんげんだ。あんまり言われっちまうと、浸かれっちまうって話だ。

 御愁傷さま。小説なんてちっともおもしろかないね。だって、だいたいプロットが決まってるじゃないか。こう流れるのかってね。どだい無理だよ、それ以外の流れを見るのが。

 ああ、

生きていてすみません

 太宰治のような嘘っぱちの文章しか私には書けませんから、世の中の真面目な事件についてふと笑ってしまうのです。なに、台風が来た。そんなことがニュースになるんですから本当に笑っちまいますわ。こちとら、台風よりもひどい風の中にいるっていうのに。

 へへへ、それはですね、携帯を見られたということです。ええ、見られました。悔しさと怒りがこみ上げます。自分と相手に対してですね。それはちと嫌な内容ではありました。しかし、寂しさゆえの犯行であります。それを解説させる相手に殺意すら覚えます。。。おっと失礼、あまりふざけてるとおもってもない言葉をぽろっとでちゃいますね。失礼失礼。気にしないで続きを読んでください。

 世の中には正義がありますか?醜さを愛しなさいよ。誰だって美しさは嘘だとわかっているじゃないですか。だから、皆楽しく平和に生きていけるんです。美人を鼻にかけた女のどこが美人なんですか。教えて下さい。自分の美しさに気づかない女が本当の美人です。そして、そんな女はこの世の中には存在しないのです。また、存在しなくても一向に構わないのです。

 話がだいぶそれましたね。主題のないとりとめのない時間稼ぎのお話とも言えないような、駄文のブログですから、いわば愚痴ですね。愚痴をここで履かせていただいている。はてなブログさんには非常なお世話になっております。どうもやる気が出ない。辛いんです。こうさせたのは自分です。しかし建前です。相手が悪いんです。それだけです。私をこうさせた相手、私が私自身を責めるように仕掛けた相手が憎たらしくてしょうがないのです。いい身分ですこと。面白い。世の中は、悪いことをしている気分が一番楽しいんですね。高速道路を200キロで走ってみたりだとか。へへへ。リミッターがありますので200キロメートルも出ませんけれどもね。

 私の内面まで土足で入ってきて拭きもせずに毒を撒き散らし、それを殺人と呼ばずになんと呼ぶんですか。女が犯されたら魂の殺人だと言いますが、男が勝手に隠していることを暴くのも殺人です。女が多少具体的に肉体を伴っていて、男は抽象的で被害が少ないように思われているだけです。女の無責任でたかが言葉でしょうという感覚が今日もどれだけの男の逆鱗に触れ暴力を振るわれ、または、女の言葉に傷つき笑顔も作れずにしかめっ面で落ち込んだ世界をとぼとぼ歩いているのでしょうか。

 私は女のために叫びたい。

 

男をあんまり馬鹿にするんじゃないよ。

 

 なんとなく、サイコな流れになってきましたね。いったい誰が読むんですかね、こんなクソジジイの説教をね。

 みなさん、イギリス人は好きですか?懇切丁寧な外国人は好きですか?よろしい。君は外人を馬鹿にしすぎです。彼らは君たちのその甘ったれた夢を食い物にして寄生しています。日本語が幼稚だから可愛い。だとか、諸説ありましょう。外国人の赤ちゃんは天使のように美しいだとか。そんな、実際を知らないあんぽんたんが、ネットで拾ったクソみたいな画像を見て可愛いと言っているんだからしょうがありません。貧しい生活体験の中で外人に出会うことも少ないでしょう。まして、外人は貧乏人に近寄りませんからね。おっと、路上生活者の少女は別ですよ?

 外人は日本人の数段お人好しでないかわりに打算的です。彼らは魂の癒しを日本の平和と人の良さに見出すのです。騙した方が悪いのではなく、騙された方が悪い世界。男の論理です。戦争中に人を殺してはいけないんだと相手を説き伏せるようなものです。世の中には嘘がたくさんありまして、それはエンジンオイルのように世界を美しく艶やかに塗り立てているのです。

 。。。その嘘を、馬鹿は疑って真実は、と叫びだします。確かに真実は美しい。しかし、それさえ虚構であります。わからないのでしょう。正義を叫ぶべば、不正義が蔓延します。世の中は言葉では割り切れません。どうしましょう。法治国家なのに。そう、最低限の法律ルールのもとパブリックでは振舞いましょうという、これもまた決まりごとであり暗黙知であり虚構です。目に見える行為は全て光によって掘られた形にすぎません。それが真実だと信じているのだから困ります。暗闇があって初めて光が存在するのです。不正義が正義の母です。

 だから、まっとうな意見を言う人間は根本的に間違っているのです。浮気はよくない。確かに、今までの関係の嘘がバレるからそれは互いにわかっていたことに違いないのですから、それを確認させる作業は徒労です。暗黙知を表に出してはいけないのではないでしょうか。闇があって光が尊ばれるのです。灼熱の砂漠に住む者に冬の焚き火にあたるありがたみがわかるはずはありません。むしろ、通気性のいいボロの服装が好まれるのではないでしょうか。

 さて、疲れました。それは、私に尋問するだけの力がないからです。私は言い訳だけはしっかりしています。私にものを言う人間は私の病気に感染してしまいますから、誰も話を書けません。誰が浮浪者の話を聞きますか?面白い話は、話が面白いのはなく周囲の笑っている雰囲気が面白いのです。そうでなければ、テレビの美術的な装飾も、フルハウスの機械音的な笑いも全く必要がないはずなのですからね。