アウトプット

相手の視点に立ってみよう

朝一滴のコーヒーが私の頭を地獄から救い出してくれる。霧が晴れて世界に対し閉ざされた末梢の神経も手を広げて背伸びする。朝の光に包まれて私は1日を創造的に作り出すように努める。コーヒー一杯の力恐るべしと、彼女に言ってもわからぬか、朝が嫌いと抜かしては抜くっと起きてコンタクトを取り身支度すませて出て行くまでに時間はかからぬ。

 金正男の長男がクアラルンプールの空港で女に殺された。殺されても悲しまれない男はここにもいたか。マカオ行きに搭乗する予定だったというのだ。どうせ事件ならばこれくらいセンセーショナルなものでなくちゃつまらない。家族でディズニーへ行きたいと日本に来たこともあるこの男性は実に面白い自由人であるに違いない。悲しまぬ身内もいないことはないのか。しかし、悲しませるようなことはない方がいい。冥福を祈る次第である。

 朝からまじめくさった文章を書くくらい私は健康的である。気について話してみたいと思う。気は発散されるべきもので悪気は外へ放出され消化するべきであるに違いない。あっけの外部への放出が必ずしも他者に悪い影響を与えるわけではなく一つの行動主体のエネルギーとなって創作意匠を与える。遠慮して気を体の中に閉じ込めておくと人間の臓器なりのうなりに悪い影響を出して神経は逆立ちビクビクしてそれが外部に伝わり見た目の悪い人となりかねない。一体顔に気分が出る人間は顔から気を吐いているに違いないし私は文章という形を借りて気を吐いているに違いない。文を読むというのもまたそれに準じる行為としてあるのかもしれない。