きょうはとても悲しいことがあったよ

 きょうはとても悲しいことがあったよ。だから、きょうは最悪の日。だって、すごくかなしかったんだから。泣けるっていいな。泣かなくても悲しいんだよ。泣けるってずるいな。泣いてなくても悲しいんだよ。でも、泣かなくちゃ悲しいってわからない。嘘。全部嘘。好きだっていうのも。嫌いだっていうのも。ぜーんぶ、嘘。興味関心なんて存在しない。あるのは痛みと不安だけ。苦しみが生の根本なんだ。楽しいことの次は辛いことがある。夜が来て朝を迎えるように。当たり前だから、面白おかしく話したほうがいいでしょ。

 あーあ、死んじゃおっかなー。こんな人生きょうみねーし。オイル交換とかきょーみねーっし。

 まじ、うざい。ってすぐ言うじゃん。世界は苦しみに満ちてるねー。いっちゃってんねー。まじ。男ひっかけてATMにするしかないっしょ。かわりに、まんまんつかわせてやっからよ。

 くだらね。こんなくだらねーことが、女子供の興味関心ってやつ。悲しいかな、優しい人がいなくなった。いや、まて。優しい人っていう人間の正体がわかってしまったとでも言おうか。不幸は、知ることから始まるね。

 なにもしらないって、さいこー!じぶんの解釈を押し付ける。これって大事。理由なんていらないでしょ。もーさいっこーにおかしくなっちゃってるね。

 べつに、いいんだけど。死んじまえば、ぜんぶちゃら。あーあ、切腹なんていいこと考えたねー。腹痛そーだけどさ。内臓もみたくないけどな。

 あーあ、しにてー。しにてー、しにてーっていってっと、守護霊様にころされっちまいそうだ。もうこんなおれに呆れていなくなっちゃったかな。ねえ、守護霊さん。いつもすみませんねえ。

 この感覚、プライスレスじゃね?

 あーあ、しにてーよー。なーんって言っときながらいっちばん長生きしてるのどこいのどいつだって話だよ。

 やっぱり、仏教本に進んだのは間違いないね。世の中のしがらみを、どう啓発本で解決しようたって、

 も・ぐ・ら・た・た・き

 あいつら、本当の秘密は本に書かない。次々に策が浮かぶ。それが、やつらの本当の才能だ。

 本に書かれてんのは、痕跡に過ぎない。テキストはすべて病人のオートマティックな症候だとみぬけ。

 さーてと、ねますかい。あしたは、バイクに電源とりつけるぞー。えいえいおー。

 って、1万だろ。オイル交換1万だろ。コンタクト5千円だろ。あと、オイルフィルター4000円だろ。合計3万だろ。今手持ち、4万だろ。1万しか残ってねーよ。これで旅できねー。ガソリン代で吹っ飛ぶ。

人間は、他人の話を聞けない

 手に針が刺さってしまい血が流れた。

 せいかくに書けば、血は流れたのではなく、血がぷくっと丸く指の先にドーム型に膨れた。その一瞬の痛みを一体理解できるのは誰だ。案外、針仕事などしたことのない人間の想像が作り出す痛みの方がリアルでそれに悶え顔を歪め、苦しめもしよう。

 「人間は決して、他人の話を聞いたり、できたもんじゃない」

 自分は聞き上手だと自負したいならば、今すぐに針を指に突き刺してほしい。ためらうだろう。強さはどれくらいだろうか。ちっともわからない。だから、刺してほしい。針を指に。

 しかし。できない。命がいくつあっても足りない。

 痛みは、私が作り出す。世の中にたくさんころがるたくさんのお話。誰それが浮気した、結婚した、不倫した。誰それが殺された、殺された後山に埋められた、殺したやつは警察にしょっぴかれた。警察は取り調べて検察に送った。その後のことは知らない。次は天気だ。どこが晴れて、どこが雨で、どこが気温が高くて、そして、どこが災害にあっているのか。

 キリがない。命が持たない。だから、きめた。

 言葉を無力化しよう。

 これはつまり、人間は言葉の障壁を乗り越えようという画期的な企てだ。不倫なんて存在しない。不倫という言葉なんて嘘っぱちだ。男が女とセックスをした。それだけの話だ。

 言葉ではなく、動画で直接伝えよう、声色で直接にね。

 時代の断絶が始まりだろうか。しかし、古典は消え去らないだろう。人間の悩み、恋、喜び悲しみ全てのパターンを組み尽くさせて、できたロボット、ドラえもん。きみはちっとも悩まない。君がいるから、のび太がダメになると思った時ドラえもんは未来に帰ろうとする。のび太は、ドラえもんなんかいなくたってしっかりしていけると証明されるためにジャイアンにぼっこぼこの、くっそめっためたにされる。スネ夫には、ネッチネチ痛めつけられる。それでものび太は、立ち上がる。

 記事に言いたいことがあるなんて思えない。言いたいことなんてないからなんでも書ける。クソ記事の氾濫は自由な空間の必然的な成り行きだろう。どこを実らせていけばいいものだろうか。思想的な対立で国会は成り立ってはいかないだろう。思想的な対立、まるでそれは、自分の人生の肯定否定を相手に頼りあっているものたちの相互依存的な関係。敵と味方は同じ土俵を共に守り続けている運命共同体であり、秘密裏につながり合っている。

 外国人が必要だ。基準がほしい。別の基準がほしい。互いに別々の基準を持ち合って、この世界の相対性を認識する。安堵は相対的な世界の中に。不安と喜びは混在され消滅していく。

 嘘はつかない。ただ、真実が風化して嘘になるだけだ。嘘だなんて言わないでくれ。本当の嘘は僕がまるでずっとずっと前に僕と似た人間の言動に拘束されなくてはいけないという暗黙の社会的なあるいは個人的なルールこそ、虚構である。

 だから、殺人は永遠にお風呂に入れない赤まみれになっちゃうってことなんだよ。人を殺しちゃえば、最低でも5年は刑務所にぶちこまれるわけ。意味不明よ。自分ではない奴、他人の行為に、自分が拘束されるんだから。事件は必ず冤罪だ。殺人が起きた時にすぐに刑が執行されない限りね。こんな不自由はない。

 まあ、介護殺人は自由への道かもしれないけれど。しかし、自由なんて大したことはない。本当に。求めるほど自由の価値は下がり続ける。まるで空気のようにそこにあるのが、素晴らしいんだよ。

 わからないよね、わからないことがいいの。もし君の心臓が心拍数200になってみれば君は君自身が心臓を持っていることに気づくね。病気の時に健康のありがたみがわかる。呑んだくれている時に、飲まなければよかったと思う。

 存在の重さ。臓器の重さ。空気の重さ。

 存在しないことが、また存在しないと思い込むことがなんと素晴らしく人間を快活にするだろう。

 無責任とは自由の事だった。責任に意義を見出し人間を虚構に導こうとする全ての企てが腹立たしい。まるで、人から刺されても痛くもかゆくもありませんよ、なぜなら、もうあなたのお腹にはナイフが何本も突き刺さっているのにちっとも、痛がっちゃいなかったじゃありませんか、と。

 世の中に、君を説得するだけのテキストはいくらでも捨てられている。君の意見を汲み取った文章はいくらでもゴミ箱に散らばっている。グーグルが見つけてくれる。

 ただ、君は何が書けるんだ。それが、問題だ。君は、決して文字数稼ぎの堕落した文章には染まってくれるな。

 そんな願いも、ちっぽけで。届かない。

 どうせ君は、文章なんてちっとも愛していない、何も知らない、小遣い稼ぎの連中よりもなんにも書けないんだ。だから、君には資格がないのさ。書く資格も。だから、言われた通りに書こう。

 なんて、

 思わないでね。

 お願いよ。

こんこんと湧き出る水

 僕に文章がちっとも書けない理由を問うてくれるな。私は完全に自由を開け渡そうとしている。私は自由にうんざりしているのだ。ちっとも自由は私に快感を与えてはくれない。不快感の蓄積が私の脳髄に溜まって私の脳みそを溶かしついには自我を失って路上に朽ち果てる。私の居場所はどこにだって求めたくない。死への憧れは常に空想でしかない。現実は私の心の認識として確固たる地位を築き私を橋の欄干の上に追いやる。世界は私の認識で成立している。

 犯罪者を憎む理由は罪を犯したことではなく、罪を起こしたということに起因している。人のものを盗むのは人間の根源的な欲望であり、隠されている。欲望の露呈は奇妙な陰湿さを生み出す。泥棒は好きに生きればいい、金持ちは怯え泥棒はリスクに従って快感を得るのだから。金持ちと盗人は運命共同体である。

 我が国は、生活の根本を失い生活のために自らの身体を売り物にした芸能人が家庭の中に据え置かれた四角い墓標の中に踊っている。奇妙な世界は量産され認識の歪みを楽しむ。ねじくれた世界は清らかさを駆逐し、環境汚染は地球規模の視点から亡き者にされ、人心は利得で簡単に動き、礼儀は当然に失われて、ついには一億総勢陰湿になってしまった。私の結論はこうだ、アメリカの文化フランスの文化を追従しているうちに、自らの基盤を失った。今や、アニメがこの国の文化だ。それも、金の流れの中にある。金は金を生み出す。感性はちっとも触発されない。目の死んだ、唇の引き裂かれた金髪の女がスカート丈短く、覗き込むような上目遣いで男たちを魅了し、男たちは女を殺しアニメに逃げる。

 日本は、ついにはクラダヌ文化社会に依存する、経済体制の元、性を抽象化して全てに持ち込むフロイトを見事に模倣して、理論や体系の嘘を具現化した怪奇な伝統に没するに至ったのだ。

 この国で私は生きなくてはならぬ。嘘の涙を流して、生きるのだ。悲しみは、作り出され長引かされ戦後レジームは破壊の限りを尽くされ、既に戦争の機運は人々の中に高まっている。心は無に帰して、物事の秩序は打ち砕かれ、残骸になった条文は道路に散布され排煙ふかす泥まみれの錆びたトラックのタイヤに巻き上げられ後続の日産マーチに衝突するも無力に、橋の欄干から水に飛び降りる。

 陰湿さを嫌うこの国の人間は架空の世界に逃避し性格を作り上げ仮面を賛美する。ペルソナは、人間である。ペルソナは、犯罪者の仮面でもありうる。性悪説さえも、性善説への希求に他ならない。殺せば死刑。性善説である。共同体は常に嘘を吐き今日どうする。談合は日常茶飯事に隠蔽され、話を聞いた投資家は優越感に浸る。一体この国は世界標準の国に成り下がったのだ。国民が自己利益に走りながら国を保つには、相手を富ませることに自らの富を賭けるしかない。

 ついに私は、死んだのだというむなしい虚言も。うんざりだ

瓦礫の中に手が

 瓦礫の中から手が伸びていた。白くなった手は硬くなって水気を失いボロボロになって散り風に散った。空に浮かんだ気球線が、白い太陽を遮り空をまっすぐに進んで消えていった。シャボン玉が浮いて、空高く、青い空の上に向かって歩いていく。電車は轟音の中トンネルを抜けていく。トンネルを抜けると広い平野が広がり遠くには富士山が見える。

 

 

トランプさんはいい人

 テレビつけていたらね、トランプさんが握手していたの。あの、金正恩よ。どちらも口が悪くて、行儀は悪いけれども、どこかにているのねーって思っちゃった。これで、米朝関係が良くなるといいわね。北は、いろんな国に利用されているらしいからね。政治家なんて本当に必要なのかしら。自分で家に放火しといて、水持ってきて昇華させるようなことをするからね。だから、私トランプさんっていい人だと思うのね。もちろん、オバマもいい人。誰と比較してってことじゃないの。大統領なんだよ?それくらいの期待はさせてよね。

 相変わらず、コメンテーターはあーだこうだいっているけどね、それでご飯を食べるんだからおかしい。真面目に働いているって言えるのかしら。本当に真面目に働けば、誰もまともに生きていないわよ、この国でもね。

 もうアプリもめんどくさいわ。なんでも機械に任せるのはよくない。おもしろくない。感性が貧弱になる。確かに、繊細さを失って鈍感になった。行動的になった。でも、文字に対する反応速度が遅すぎるの。口喧嘩もできないわね。言いたいことも言えない世界を民衆が作り出してしまった。どうしよう。これからは、中世みたいな暗黒時代よ。宗教が科学技術に変わっただけじゃないの。暴くのは神の不在じゃなくて、不必要なプログラミングなの。あーあ、人は歴史を繰り返すのね。

女子から見た大学生

 ほんっと、つまんないことで笑えるのは仲間だからなんだよ。内輪ネタがすぎるんだよ。仲間じゃなければ、笑えないことが多い。ワンピースの弊害だな。やたら仲間を大事にする。うるせえよ、自由にさせてくれ。右向いたらあいつの顔、左向いたら犬の顔。どっちむいても同じ顔して、新しい友達を作ろうともしない。たぶん、わたしにいいよってくる男がいないからこう考えるのね。わたしは周りの人間の期待しているの、私が見えないの?私に話しかけなさいよってね。近頃のはダメね、勇気がないの。ちっとも、嫌な顔されたら嫌だとか、女はすぐにやらせてくれないからめんどくさいだとかね、そういうのがとても多い気がするの。本当に嫌になっちゃう、頬杖ついて甘い紅茶飲みたいわ。外は新緑でとても綺麗な白い服着た女の人が自転車こいで通り過ぎていくの。

 

 

自分は

 自分をさらけ出す欲望もあるわけではない、しかし、それをしなくちゃ鬱屈した気持ちから解放されない。そんな気がするのである。不満な女はその不満をいままで親にぶつけ諭されてきたのだろうが、それができなくなっていつまでも不満にそして、自分の体のみ弄ぶ権利を相手に与えることができると悟った瞬間に、男遊びに走るのだ。牢獄は自分自身であり、自分の考えそのものなのである。だから、人間は皆平等に苦しい存在なのである。それを認められないから、相手に対して羨望の眼差しを持ったりもする。しかし、それは救いでもある。自分も苦しみから解放されて華やかな人生を謳歌できるはずだ、努力すれば。となるのだ。そんなはずは一切ないのであるが。自分自身、気持ちがすっきりしないのだ。やるべき努力をしていないからだ。何かをしたいのではなく、何をするべきかで考えるといい。といっても、それは三島の言葉だ。三島の小説に出てくる言葉に過ぎないのだ。私は、世の中のテンプレートな文章が頭の中にしみこんで、もはや、アウトプットができない状態にある。世界は恍惚としていた。メディアから離れた時。世界は私に話しかけてきた、世界旅行記を映像でみる羽目にならなければ。世の人は疲れている。だから、何もしない。それは素晴らしい。ネットの情報は玉石混交だ。役に立つのか立たないのか。ごみ捨て場から廃材を持ってきて家を建てるのに、シロアリに食われた板を使いたくはない。未来小説の夢も、形式も、今は普通になった。真新しいことは、素人の手垢にまみれて近寄りがたくなった。どうしても、私は思わずにはいられない。人は、ネットで同じような情報を共有し、同じような結論に至る推論を重ねるように誘導され、また、書き手の人間も、読まれたいがゆえに周囲に同調して同じような記事を書き、以上のような記事が大量にネットに蔓延して、つまらなくなったと。ノイズが必要なのは、文体に関してである。人は、伝わりやすい文章と構想だけで満足する生き物では決してないのだ。今は、積極的な変人が求められている。こんな時に、変人になるのは、成績優秀な人間の方にはまった変人だ。だから、俺は自分の変人度合いを隠す。相手を立てる。それだけだ。人生みな疲れているニートから主婦会社員みんな疲れているのだ。それなのに、疲れていると言葉にする。これについて書くとなんとなく筆が進むので書くわけだ。決して自分が書きたいことではない。先ほど三島の言葉を例に出したが、何を書きたいのかでなく、何を書くべきなのかを考える必要があるのかもしれない。私は今ここに、どうしてもオンライン上不特定多数の人が私の記事をみるだろうということを観念の外に追いやることができない。だから、仮面をかぶる。少しは変わった記事を書いてやろう、わけのわからないことしか書けないから、どうせ変人扱いされるだろう。私のアウトプットは、私に対して新鮮味のあるものではない。他人に対して新鮮味のあるものだ。誰だって、人前で自分の性器を露出するのをためらわない人はいないだろう。私はただ、性器を露出しているのだ。相手からしてみれば、私のあそこは初めて見た代物だろうが、私は毎日見ているのだ。何も真新しいところはない。このように、私は決して自分のためにアウトプットしているわけではない。相手に対してカミングアウトしているに過ぎない。そして、カミングアウトは本当につまらない。だからやめた。