「ねえ独り言って嫌い」

「どうして」

「一人じゃないもん」

「そうだね。ひとりじゃない」

「だから独り言って嫌い」

 

さらさら雨の日。世の中は静か。しとしと聞こえる。雨の音。

「私の見解によると、基本的に雨の日はテンションが下がる。君は世間のテンションが下がるので、君の下がったテンションと融和しているように感じる。だから雨の日が好きなんだろう」

しとしと雨の日。空気も眠って。私も眠る。深呼吸。

 

「嘘は嫌。行動の後に言葉が来る。嘘は絶対に嫌。言葉は行動の後に来る」

三島由紀夫を読むと精神が安住する。この文体だってね。虚飾だろうが、わざとらしかろうが、美文であろうが、三島由紀夫の文章は好きだ」

好き嫌いを論じるのは、最悪だ。そこに何の理由をもった言葉が見つからない。言葉のないところに何がある。

物事を決めつけてはならない。ただ、自分が拒否されている。ただ、観察者になる。それも嫌だ。活躍したくてたまらない。その気持ちが君の背中を引っ張っている。君は活躍などしたくないのだ。可能性の世界では生きない。ただ、欲望の世界でのみ人間は生きられる。もし何かを不可能だと感じるのであるならば、そこに他人の欲望を欲する自らを見つけるが、それを受け入れるのに自らが拒否しているのだろう。つまり、欲望に身を委ねるのが不快であるだろうと感じているのだ。それは直感だ。直感があれば、人間は道を間違うことがないだろうか。適当に歩いても目的の場所につかない。目的の場所は今ここにある。だから、人間は将来の不安をするとき、自分の甘い果実を捨て去っているのだ。それを見たくないのだ。だから将来を不安に思うんだよ。だって、君が今の状態で最高じゃないか。それを認めたくないんだ。日に日に年を取るんだよ。病気の人は?元気ないだろう。しかし、そこなった体になる環境から出られたんだから、最高じゃなかろうか。