アウトプット

相手の視点に立ってみよう

かすれる目の中起きる。体の汗が頭皮を濡らす。今読みたい本は、樋口一葉日記、伊藤仁斎の行状、本居宣長のあしわけおぶね、である。目もついでにここに書いておこう。さーて、きょうはどんな1日になるかなあと!言葉はしみじみと語るべし。良寛の言葉だ。忘れないやうにしなくては。良寛さんはいつも笑って子供と遊んで、出世するの面倒だと思い、普通人の、それでもなんとなく出世の中に身を置きながら足を突っ込みながら生きるのではなく、中途半端にダラダラと、しっかりとだらけて生きた人だ。その力の抜け具合に後世の人は魅力を感じてもいたのだろう。夏目漱石良寛を気に入っていたという。特に、書ではあるが。三島由紀夫とは反対だ。彼は近代知識人で、富国強兵が身にしみていた。国のために己を捧げるのを夢見ていた。自分を贔屓してくれる人を探すのを頑張った。才能はもちろんあったのだけれど。彼の美文はやはり平安朝文学から来るらしい。しかし、後になってギリシャ的白黒した世界に身を委ね、日本は陰気で好かんと言い始める。確かに。笑っているのか嘲笑しているのか日本人はわからない。賛美なのか皮肉なのかわからない。実に気を使う。独特だ。面白くないなら笑わなければ良い。面白ければ笑えば良い。皮肉なんて言うのはまず男らしくない。女も目指すは男なのだから皮肉など言わぬがよろしい。私は皮肉が嫌いだが、関西の方へ行くと皮肉がウェットに効いて来るらしい。交わりの中で少しクスッと笑えるマウンティング的な表現が皮肉である。言いたくても言えないことを責任もなしに皮肉といって放言できる。精神的にはそれも良いのか。黙っていれば、本当にいつまでも黙っていららる、と三島は日記に書いていた。そこでは純粋な物言いも日本の習慣に掠め取られ相手に皮肉と受け入れられる余地のないことはない。李下に冠を正さず。思ってもいないことは言わない。良寛戒語にそうある。