どうでもいい

 危ないのだ。とにかく、何に対しても興味がないんだ。それが、長く続くとは思われない。無欲であるはずもない。ただ、じっかんがないのだから。実感がないとは恐ろしいことである。自分が得体も知れない環境で生息しているという恐怖である。誰にも理解されずに死んでしまうのは、本当に悲しいことなのかもしれない。人間はよく深いほうが健康的であろう。だから、戦争でさえもしかすれば健康的な人間のやることなのかもしれない。人間は本能が壊れた存在であり、本来はセックスと死しかないのだ。しかし、文化を作り出した。文化がないと生きてはいけないのだ。人間はあまりに多くの法律を作って世の中が幸せになるとした。しかし、そうでもないのは確かなことだ。いろいろなルールはただ、そもそもは空虚な世界である人間が、意味づけをしたにすぎない。それは、動物でないからできることなのだ。そもそも、動物を調べて人間がわかるはずもないだろう。人間をやめてから人間であるのがわかる。人間失格を書いた太宰治は、人間がどうしようもなく人の依存する様を描いている。人の次に文字が依存の対象になりうる。人に依存している間は、決して文字は依存の対象にならないような気がするのだ。文字と人は全く別個のものなのだから。お金の存在理由は知らないが、人間の際限ない欲望を制御する上で、お金は機能しているように考えられる。無駄なように見える行為をずっとさせて、戦争もないのに軍隊を置くのも人間が想像に寄って生きている証拠に十分なりうる。人間は想像的だ。想像の中でしか生きられないのが人間だ。ファンタジーな世界を愛するということは、ファンタジーに喜びを見出すということなのであるが、どうしてもつきまとうのは、なぜディズニーがこんなにも人気なのだろうかということなのだ。私にはわからない。しかし、関係がない。と、口癖になったような言葉を吐いてみても私は変わらない。赤名リカが、完治と別れて3年が経った頃東京の街角で偶然であったとき、完治に何をしているのか問われて、私は何をしたって私だよと言った。女はそうであるかもしれないが男は職業で語る。地位で語る。だから、僕は今非常に不自由のなのかもしれない。これは戦いなのかもしれないのだ。敵は己である。完全に己である。なぜならば、私が勝手に思い込んだルールに私自身が縛られているのだから。だから、これを理屈によって法律を廃止するのではなく、忘却によって法律を無視するしかないのだ。なぜならば、一度作られたルールをいつでもすぐに取り出せるようにするためだ。人間生きていて、ちっともいいことがないだとか、自動的に口が出てくる人は本当は幸せ何だろうと思うのだ。お前は幸せだろうと、幸せであるというアピールをしなくちゃならないのは不幸であろう。何を考えているのかわからないのはお互い様だ。友達なんかいらないんだからな。くそが。ああ、言いたいことも言えないんじゃない。言いたいことをいう言葉がないんだ。人に依存して生きるとは、かくも悲しいことなのか。別れが辛いのは、自分が死んでしまうからだ。相手の中にいる私こそが本当の私なのにね。それを知りたかったら外国へ行けばいい。日本語を話す人がいない外国において自分がいかに無力であり、言語に支えられて自分を作り上げてきたのかを知ればいい。全ては幻なのである。実感がないのは当然なのである。だから、私は至極真っ当すぎる人間なのである。そして、実感を作り出す能力が今私は衰えている。そう考えながら、今週も週末を迎え、今は夕方。暗い曇り空の秋は枯れ枝にぶら下がるみかんを想像させる。これもまた、実感である。