アウトプット

相手の視点に立ってみよう

クルサーで、なんくるないさー

 久しぶりにいいことがあった。達成感というか、義務感を果たした大人の疲れを味わっております。義務を果たすっていうことは、社会で生きることを自己正当化する上で大事なことなんだと改めておもいました。きょうのスーパーマーケットでの買い物はとても安らかな気持ちだった。大人になったら、ああいう高度に人を喜ばせる、助ける、お役に立てる人間になろうと思う。結局は、ニートの働きたくない気持ちってのは、社会にいきている我々なのだから、社会的に生きる自分を正当化できないので破綻するんだと思う。

 家にずっといて、食料が届く今のうちだからこそ甘えていられる・・・。しかし、親に対して身内に対してしか甘えられないのはリスクのあることだし、愛情がすくないのではないか。愛されるより、愛している人間の方が美しいのではないか。いや、打算的に愛を論じるのは卑しい心をさらけ出すようだ。愛は無限大。母親の愛情は絶対普遍のものと思い込み、今日の社会が成り立っている部分は大いにある。その欺瞞を、信じ込みたくても信じ込めなくなってしまう人間もいるのだ。

 文章が受け入れられるってことは、自分の考えることを分かってくれる人がいる、興味を持ってくれる人がいるという蓋然性を高めることにつながり、自己正当化の強い根拠となるのだ。人々はとかく、根拠を求めたがるものだ。安心は根拠の根強さだ。

 人間性を文字に託して人に読んでもらい共感興味を得る。

母親的愛情そのものではないか。