アウトプット

相手の視点に立ってみよう

夕方

 夏の夕方はいつ終わるの。時計は夕方なのに外は昼間のように眩しいんだ。外へ出れば夕涼み。夏は灼熱。夜だけが涼しい。こんな日に、僕にどうしろと。そんな問い。無駄だね。君にどうしろという人はいない。君の生理的嫌悪感が君を直接死に向かわせるか間接死に向かわせるかの違いに事態は収束するのさ。台風は来なかった。電車が止まれば休みだったものたちの嘆き。期待が裏切られた感じ。僕はこれから幾人を裏切るのか。数え切れない。裏切りたくはない。しかし、信じてもらいたくもない。信じもしない、裏切りもない、そんなあっさりした関係がいいな。その方が、連帯意識は強くなくても気持ちは軽くても、しっかりつながっているんだから。ヤンキーをよく引き合いに出す。彼らは口だけ。そして、バッドセンスが最高なんだ。センスの悪さ競い。それこそ彼らの嗜虐的好み。見てくれの悪さをセンスの悪さに変えてしまって、見てくれの悪さを隠そうとしている。そんな説明彼らがうけいれるわけもないけれど。だって、罵倒する気なんてない。ただ、君たちの本質は気持ちが悪い。ただ、それだけ。どうせなら、あっさりした人がいいな。颯爽とした人がいいな。あまり胃にもたれる日に焼けた髭面は嫌だな。剃り込みを入れた長髪も嫌いだし、整髪剤で固めた髪も気持ち悪い。どれも、脂っこいしつこい感じがする。執着心を自己主張している。どこまでも自分が正しいと思って正義を貫こうとする。ダサい。仮面ライダーの見過ぎだ。ワンピースも嫌いだ。悪いところを突かれたら、とりあえず友達になる。戦えば負けることがわかっているから友達になる。策略的に。相手が弱った頃に友達と縁を切って出し抜く。女みたいな。否。女性に失礼だ。紳士ぶってんじゃないよだって?いかにも、私は紳士です。

 一歩外へ出れば僕も物言わぬ人、と思われているらしい。いくらだって基地外になれる要素は多分に有しているのだ。そしたら、ヤンキーは歓喜するだろう。僕の言葉の意味を理解するよりも利用としてその格好の材料を彼らは見つけるのだから。正直今の時代精神分析がいかに面白いのか。知の考古学がいかに面白いのか、知るべきだ。いや、僕だけでいい。世の人は、そういう界隈のノリとツッコミで胃にもたれるような気持ち悪さに酩酊して俗世の辛さの浮き晴らしと、いきましょう。くらいくらい、私はこんな暗い人たちと一緒にいたくはないね。なぜ外へ行きたくないのか。周りが明るいからだって?どうかな。周りの嘘八百に嫌気がさしているからなんだよ。おじさんの歩き方。それに宿った年数。時間に僕は勝てない。僕は時間には勝てない。その時間が世を支配しているとしたら。僕は一生勝てない時間を相手に時間を使用して堂々巡り。お金を増やすためにお金を減らす。そんなことがあっていいものか。いいもわるいも、実際そういうものだ。投資をしているのだ。何に?未来の僕にか?それは時間の裁量権を逸脱した主張だ。君はある時期にすべきことを怠った。故に、時間を王に迎える私たちは君の主張を受け入れるわけにはいかない。不敬罪で、逮捕だ。

 なんて会話が繰り広げられていた時代も、すぎたね。みんなが本を読んで、どこかで読んだフレーズを真似して口にしてみたり、解釈して提案してみたり、いい言葉であふれていた。今はどうだい。あの製品の良し悪し、あの遊びをしよう。いいじゃないか。言葉は鳴りを潜めて、ただ、じゃれ合いが増えた。体同士のじゃれ合い。必然的にセックスも増える。セックスさえ一つのコミュニケーションだ。エロスの芸術だ。僕はセックスとは何かと聞かれた時、運動や芸術みたいなものだと答えたかった。しかし、出来ない。芸術なんて言葉を口にすれば芸大生が怒り出す。芸術は僕たちのものだと。芸術さえ国に利用される。構わないだろう。芸術の方が国家を内包しているうちは。

 僕は主張の正しさよりも、その主張をなす時の相手の丁寧さが肝心だと思う。ロンを待たすことなしに、僕にとって、というわけだ。就職活動かんばれよ。そんなアホみたいな言葉を僕が得るようになったのは、君たちを就職させるためなんだ。まだわからないんだろうか。こちらの勝手である。そして、この依存心を断ち切るには死あるのみと考える。誰か僕に死を!しかし、神いいがに私に死を与える権限を私自身有しない。私は権限すらない。死ぬのは権利ではない。衝動だ。爆発だ。爆弾が発明されて、人間は自らも爆発してみようと考えた。圧縮空気を破裂させる機構を内蔵に有していないため、既存の空気に切れ目を入れたり空気の流れを止める、なんともしめやかなやり方を見出した。ギロチンで首を切るのも流れを止める。血液の流れに別の経路を与える。ナイアガラの滝のように、地面にポタポタ滴る赤い血を見て、人々は目を背けまた、それを目撃し、自分もああなることがあるのだと興奮した。スリリングな光景に人々は、自らの死を思い熱狂した。 

 さて、こんなところだろうか。夕方はコメディーニュースの始まりだ。見てる人間は、アホばかり。病院で見てれば、少しは時間つぶしにもなろう。どうせ台風だろう。天皇の生前退位はどうなったのだろうか。真面目なニュースは嫌だね。台風くらいでお茶を濁してる方がよほどいいのかもしれないね。なんたって、政治家は愚かなる国民の代表者なのだ。彼らの賢ぶった詭弁術と、悪どさを見ていればなんともこの国に住む人間と話して面白いかそうでないかがわかる。僕は人の話を聞いて悪口ばかり書く方が今、私にとって有益だと考える。奇抜さは求めれらない。グローバルが叫けばれれば伝統を叫び、伝統を叫べば、その伝統の商品的効果を狙った雑な声を無視したい。できれば最初からそうしているよ。

 いくらでも書けるね。何が書かれていないのだろう。主義主張を、僕は持たない、という主張さえもバカらしくなってくるね。ああ、バカらしいよ、生きるなんて。特に、お祭りの後の倦怠感はやるせないね。人間は退屈な時間の方が多いのかもしれない。彼女もわかってくれればいいのに。いたずらにネットで見た映像に興奮するのは彼女もとい女の性なのだろう。彼女らに尽くさなくちゃならない男の心情もわかる。吐きそうなくらいね。彼女たちを意中に収めるためにそうしなくちゃならないんだ。男は永遠と手のひらで踊らされる。もっと男が身を引き締めて女にうつつをぬかさなければ、女も少しは大人しくなるのにね。男がいない時代は、女が喚く時代だ。僕はミソジニーなのかな。それとも、なんだろう。多少、男は女が嫌いだし、女は男が嫌いだ。そんなもんだ。

 折衷的に終わる文章は嫌いかい。テーマはなんだろう。ない。テーマがないからこうして話が豊富になった。それは自画自賛か。それとも皮肉か。どっちでもいいじゃない。それは、心の広さか、それとも偽善か。僕は何者であるのか。それを知りたいと思う気持ちに罠はある。