犯罪者は金になる、正義感も金になる、だから、正義感を持て。犯罪者を罰する気持ちを持て。さすれば金が手にはいる

 さて、世の中金ですかね。どうも、そうじゃないと言いながらオールオアナッシング。金こそ世間だと、白黒つけてみたところで、何になろうか。犬は四つ足で歩くよね?走っている瞬間は一瞬飛んでるけど?みたいな話だ。世の中の定義を曖昧にしておく。きれいな川に魚は住まない。鳥にみつかっちゃう。他にどんな理由があるかしらないが。論理的に文章を書けば、どこかで言葉に思考が飛躍していく。言葉の延長線上に自分がいる。決して言いたい言葉の中に自分自身はいない。

 電車内で足を組んでいた女の足をわざと蹴り上げた男を目撃した女が、駅を下車したのち女に「力になれずに申し訳ない。あなたは邪魔になるような足の組み方はしていなかった」とフォローした。加えて、男に対しては「わざと蹴りましたよね。その必要はなかったんじゃありませんか」といった。男は、証拠があるのかと女に言い、女は男に対してダセェんだよ、と言葉をはいた。男は、女に対して、いきがってんじゃねえよ、糞ガキだと言った。

 さて、この事案でありますが、要するに蹴った男も蹴られた女も互いにコミュニケーションができていた。電車の中で足を組む行為を多少は悪いと女は思っていた。たとえ、それが邪魔になるかならないかではなく。だから、目撃者の女は、ただ、同性だということを理由に女をフォローしたのだ。なぜ、男に対して、「足邪魔でしたよね」と言えなかったのか。そうは思わなかったからだろう。つまり、自分の価値観で行動した結果。女は共感が好きだから、それを互いにし知っている。連帯して、あなたは悪くないという。女子会をして、男に対して、世の男に対しての裏切りを足蹴り男に感じて、世の中そういうもんじゃないよね、そうあって欲しくない、だから、自らの世界観を守るために男に対してものを言ったのだ。そして、情けない男は、蹴ったにもかかわらず蹴っていないという。男は決して、非を認めれば許してやるという世界には生きていないときが、しばしばある。俺こそ正義なのだ。女も、私の感覚は狂っていない。なのだ。実際は、男の正義は自分勝手で、他者をいつでも裏切るような冷たい人間であるし、女の私の感覚は狂っていない、それを確かめようという気力も強迫観念的である。実際に、女は心拍数が高まっていたらしい。

 要するに、暴力はいけないのだ。しかし、暴力は発生してしまう。発生するたびに問題にすればまだ、暴力は制御されるが、暴力に慣れてしまえば世の中がDV化するのだ。人をたたいてまで笑いを取ることに、身体的痛みを感じる人もいる。感じない人は鈍感というわけではない。しかし、他者への愛情表現だと言って叩くとき、「そこに愛はあるんか」本当に、あるんか?

 5月の空も過ぎて6月が来た。緑の山も一層濃さを増す。私は、青空の中考える。世の中の人は快感を他人に求めすぎている。自分の中から生み出されないものか。テレビは許す。勝手な人間を。しかし、形式的だ。実際は、勝手な人間というのも、勝手な人間じゃないのだ。ただ、警察を存続させるために殺人事件の犯人を適当にでっち上げるようなもんだ。警察が、殺人をするようなものだ。医者が、患者を止めるために患者を病気のままにさせておくようなものだ。全ては形式的である。それが素晴らしいと言って三島は死んだのだ。そこには、えも言われぬ、内容という空虚さを埋めてくれるものがある。すべての内容は形式的なものによって構築されている。つまり、内容さえ形式から成り立つ。形式こそが実態なのだ。唯一信じられる物なのだ。そして、観念こそ幾多の形式によって成り立つ物なのだ。そして、形式的だと思われる祭りなどの行事は決して形式ではなく内容で充満している。そこには、形式が煮詰まっている。だから、儀式は決して形式ではないのだ。それだけの話なのだ。内容のある話など、空虚なんだ。

 上の事案に当てはめると、蹴られた女も蹴った男もいない。いたのは、ふたりの人間に共感した女がいた。その女の奮闘記だ。彼女は泣いたらしいが、その涙は、世の男性への恐れからか、世の女性への不憫さからなのか、それとも正義という殺人事件が起きなかったこと、つまり、男が蹴られた女にではなく、それを目撃していた女の前で懺悔するという、買いもしない会社の車のリコールを実施した会社の社長が目の前で謝ることに、何かしら、それが筋であろうし、それをここで見せてみろと言わんばかりの、なにか疎外感がある。

 私の考えは非常に面倒くさい。本能的に、男に詰め寄って何か言えばいい。女も、男の言葉を無視してお前何蹴ってんだよと、そこから入ればいい。ける必要があったのか、それをクイズ形式で相手に聞いたのがまず方法として、男から糞ガキと言われる始末に陥ったのだ。女は、男に何を求めていたのか。男は、何を恐れていたのか。蹴られた女は、何も言わずどこへ行ったのだろうか。女の敵は女だ。男にこう言いたかったに違いない、なぜ、もっと蹴らなかったのか。目の前で犯罪が行なわれている、そこから逃げるのが女だ。巻き込まれたくないから。しかし、それは犯罪を見過ごしているのとかわりない。だからといって、止めに入ればトラブルになり衆人環視の注目の的だ。それを嫌った。自分を捨て切れなかった。それで十分じゃないか。女の涙は、おそらくは後悔の涙だ。あのとき、注意すればよかった。しかし、それができなかった申し訳ない。そして、その後悔を埋め合わせようと男に詰め寄ったが、男は知らんぷり。後悔後に立たず。