アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ネットをやめたら

 検索すればなにも記憶する必要はない。夏は衰えるばかりだ。知識は不要だ。つまり知識の感覚が衰えている。知ることについてこんなにも嫌悪感を抱かねば暮らしていけないのは、時代のせいもあるだろうが、ネットのせいでもあろう。責任は誰にあるのかは問題ではない。経済に好況不況の波があるように、人間が生きやすい波は近頃はあまり良い波ではないように思われる。ネットの繋がりは補足的なものであったはずであるが、リアルな世界を追い抜いて力を持ち始めている。目の前で死にそうな人がいても、遠くで鼻くそほじってテレビに貪りついている恋人とのやりとりにうつつを抜かす。非常識なのはいつの時代もそうだ。人間の発明が人間の暮らしを良くするためだけではない。何かわからずに使っている。それで人間が死んでも仕方がない。ネットの世界に浸り続けて現実に物を見る力が弱くなってもしょうがないではないか。私は人間に期待しない…といいながら、私の人間としての責任を放棄しようとしている。私は私を期待しないと宣言したやうなものだ。それでも構わない。私は誰からも必要とされない。いわば自立しているのだ。甘えてばっかりでわざと気を引くために余計な動作をする、ひねくれた末っ子気質な人間たちとは全く気が合わない。だから、放置だ。なんなら、頭をかち割ってやりたいくらいの気持ちだ。

 おっと失礼、いくらここは自由にものをかけるからといって、そうそう悪文を書いてばかりじゃ自分も不甲斐なからろう。私なんぞ最低ですよ…。本ばかり読んで、なにもいいことがないとほざいているんですからね。要するに、人に対してなにも教えたくない。なぜならば、人から教えられて学んだことなんて一つもないから。

 ああすればこうなるという図式を教えてもらっても、そうはならないから。なったとしても、やるのはきみ。いやになるね。本当に何もかもが。世界はビジネスホテルくらい狭くなっているような気かましてならないんだ。

 ネットをやめたら、世界が不思議になる。世界を愛するようになる。それだけの話だ。幸せになりたいんなら、検索するのをやめたらいい。