アウトプット

相手の視点に立ってみよう

デュルケーム

 デュルケーム社会学者であり、今私が読んだところによると社会学を彼が定義するに、社会学とは制度を対象にした学問であるとされている。また、個人の心的な事実とは離れて個人が従うところの社会規範も社会学の対象とされている。個人の心的機制を離れているから心理学とは違うという主張である。確かに、個人の心理がいかようであれ制度に拘束されている人間は多くいる。アメリカが黒人を奴隷に開墾させていた時それを制度として許容していたのだ。しかし、そこに黒人の気持ちは抑圧されているのではないか。それとも、制度が当たり前であるから、4年で大学を卒業するのが当然であるように、当然のことであるから疑いに対象とせずに、当たり前に不当な作業を強いられていることを受け入れてもいいのであろうか。それは、現代の日本人労働者にも言えるのではないだろうか。確かに、上司の言うことを聞くのはいいが、俺もこうしてきたのだからお前たちもこうしろと後輩に言うのは、負の再生産でしかないであろう。上の人たちは、もっとゆるいところを見せればいいのである。頼られるような上司よりも、皆から助けてもらえるような上司の方がいいのだ。しかし、すぐに極端に怠惰な上司を想定してそれはおかしいと言わないでくれ。ある程度、と言うことだ。そのある程度というのが難しいのでややこしい話なる。本当にややこしい。しかし、ややこしいで終わらせるのは良くない。ややこしいところにやりがいを感じなくてはいけない。難しいことに燃えなければならない。困難に出くわしたら、困難をなぎ倒さなくてはならない。その気合いなくしてどう生きろというのか。上司がポンコツでも部下がしっかりしていればいいそれだけの話だ。それを部下が俺が上司の代わりになると言って仕切って士気が下がれば上司の株が上がるだけの話。やっぱり前の上司でよかったとなるのだ。つまりは、自分の仕事を自分のためだけではなくて相手のためにもしなくてはならない。