アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ワカチコワカチコ

 なんで夜中にツーリングしなくちゃならねえんだよ。馬鹿野郎。眠いんだよ。おまけに指定した場所から40キロも離れたとこにこさせるんじゃねーよっ。夏休みだからって暇扱いしても構わないけど、ツーリングぐらい一人でやれよ。夜中に人誘って、暇そうだからおいでなんて、うるさい。俺は一人っ子だから言ってやる。便所に友達連れてく女じゃねんだから、一人でおトイレ行って来い馬鹿野郎。てめえの通る信号全部赤日してやるぞ、ボケと、暴言を吐いたわいいが、どうにもこうにも精神は収まっているので、これ以上なんということもない。書き始めてこれはまずいと思ったから一度消してはみたものの、やはりダメだった。書かずにはおれない。まずやることが多すぎると愚痴をこぼせば何をしなくちゃならないのかを書くのが面倒だから、やることが多すぎると主観的に仕事の量を高く見積もって忙しいアピールをしこの記事を読んでいる暇人たちとの差別化を心の中で達成しようとするほど、私の品性は卑しくないし、品性というほどの品も持ち合わせているのかいないのかは、私が判断することではなく、客観的に判断される市場での価値であろうから、相対的で、周りが品の劣る人間ばかりになった昨今からすれば、品のある人間は芸能人が不倫をしてもそれが自然な人間の性であると割り切って、見過ごすのが品があるということになっている。要するに、人間を見る目のない人たちが市場に出てランキングを作り、あれこれ比べて素晴らしく品のある人間とない人間を同じように扱い、裏切られることのない、全くのっぺらとした世界が眼前に広がっているのだ。

 日本は、ついに戦後レジームとやらから脱してしまい、老人が死ねば戦争は忘れ去られ、もう一度戦争を起こすだろうと望む者も多数いるのかもしれない。そして、戦争は、これまでと違ってコンピューターのシュミレーターになっていき、戦争の予測結果が、そのまま戦争の結果となるのだ。どうだろう、死者の出ない戦争だ。それは今まさに起こっていることじゃないだろうか。自殺するものは戦争の犠牲者と言っても過言じゃなかろう。つまりは、いつだって戦争状態じゃないか。法律の条文上武力を用いない戦いは、そこかしこで繰り広げられている。法律は戦争さえ立派なあり方を定めるのに必死である。

 どうも、わかりづらいことを言っているようだ。人を煙に巻いて。つまり、言葉によりあるいは文化により民を統治するのが文化だ。武力とは、武器を用いて民を統治するのだ。どちらがいいのか、民は特に選ぶ権利はないだろう。ただ、文化に屈するよりも、暴力を用いて文化を壊し自らの文化をすっばらしいと絶賛するようになれば、北朝鮮のような国になってしまうだろう。事実、北朝鮮の一般的な農業に従事する市民が素晴らしい倫理の元生きているとしたら、現代の日本においては非常に迷惑な存在に移るに違いないのだ。それは、自分たちを卑しめることにもなるし、あまりに素直であるから思っていることを、または秘密を公然と暴露してしまう結果になってしまう。暗闇が、どれほど人間を救っているのか、顔に消せない傷を負った女は、暗闇の中でしか落ち着けないじゃないか。

 俺は、ひどいものを見ちまった。ネットで要求したおっぱいに、縦の線が入っていた。そいつは、心臓病を患っているらしい。いったいどんな病気なのか知らない。しかし、俺はエロさ目的にいろいろ写真を要求した。セックスをするとホノメカシもした。相手は相当ブスであったけれども。体は豊満で顔は別にどうでもよかった。その女が俺を学生だからという理由で、付き合えないと言い出した。俺は、こいつも普通の人間だと思っていらついた。学生で経済的な余裕のない人間とは交際しないと。つまりは、心臓病でいつ死ぬかもわからない体の女はいらないと、自ら思っているように思えたのだ。そう思って、こいつも普通の人間だと思った。

 夏は過ぎていくが、自分は一向に過ぎ去らない。自分だと思っている影がいかに自分でないことを自分はよく知っていない。自分のよく知らないことをまずわかっちゃいない。老人は自分の頭で記憶していることから物事を作り出してく。次第に同じようなものしか作れなくなっていく。そんなもんだ。職人ってのは相手にしている対象は一つだが、そこらの人間よりも想像に富んだことをやっているに違いない。そもそも、職人ってのが力を持って専門家になり集団を作って、人々をそれに依存させて労働させ設けるというのはいつの時代だってそうじゃないか。パソコンだってそうだ。仕事が楽になったかと思えば、皆、結構忙しそうにやっているじゃないか。口ばかりが、おしゃべりが増えて、行動の一切伴わなくなった。

 ああ、奇妙な夏だ。夏はいつだって奇妙だ。脳みそを溶かす太陽のせいにしちゃいけない。今年は稀に見る冷夏だ。ツーリング中雨に遭うのはもう慣れた。一向になれないのは、渋滞時のすり抜けだ。

アウトプットが何かよくわからない

 自分で考えて物事を処理しなくちゃならない。情報化社会は、情報に踊らされる人間にとってはパーフェクトな世界だ。自分の味覚なんてなくても、美味しいと話題の店で食べたご飯は美味しいのだ。情報は評判となり、ブランドものが力もないのに売れていく。一人一人の感性は、大きな世間の評判に邪魔をされて窒息寸前だ。動画作りもままならない。大きすぎる容量をここに入れて何もできないんじゃしょうがない。どうも、私は無口になったのか。否、そうでもない。全否定の精神だ。否、全肯定と表裏一体であろう。思想がなんだ。思想がなくては生きていけないというのか。倫理は、人間に無理を強いる。倫理は決して人間ができることを押し付けない。其れは倫理とは言わないのだ。一体全体倫理崩壊しているのはうちの方だと、叫ぶ。大いなる森に。何も感じなくなった魂は、盲目のうちに行動し失敗を遂げる。完成された失敗はどうも心地よいものだ。崩れるのが目的で、失敗こそ成功なのである。ひねくれていると言われてもしょうがない。根がおかしいのだから。私は、思っていることを書いても何にもならないと思っている。本音さえ、誰も聞きたがらないのはもちろんであるが、退屈なのだ。現実も虚妄も事実である。裁判で採用される証拠だけを集めても人間は完成しない。終わるのは裁判だけだ。それだけなんだから、何を恐れる必要があるというのか。恐れ?私は何を恐れている。幽霊も、社会的地位も何もかも恐れない人間はいるのだろうか。私は、恐れない人間は危ないと考える。火傷しているのに痛くないのだ。腹を刺されて胃出血しているのに痛くないのだ。つまり、鈍感はしに通じているのだ。ぼおっとした人間を見ていると元気がなさそうなのは、死におかされているからだ。次第人間は刺激物を摂取するようになる。カレー好きなら激辛だ。そして、ちょっとした心地よさを忘れてしまうのだ。刺激ばかりを追い続けて何になる。充実させなくちゃ人生はいけないのか。田舎でのんびりすごせるんなら、過ごしてみるがいい。無理に決まっている。どちらが難しいのかよく考えればいい。皆がセックスをしている、君もセックスをしたくなるだろう。あいつができるんなら、俺だってできるという。ただそれだけだ。乗り越えるのは相手じゃなくて自分であるべきだ。相手の動きに乗じて何かことを起こして競うような人間はくだらない。もっと言えば、実に弱い。そんな弱い人間が組織のなかを這いずり回るのだ。嘘の笑顔も、最初のうちは持つさ。しかし、だんだん笑顔も素っ気なくなり心はノイローゼ、その責任を会社に投げうる始末。母子家庭だから貧乏。両親いるから健全。確かにそうかもしれない。しかし、わかる程度でものを見ているからそういったステレオタイプに偏るのだ。つまり、ニュース記事なんて全てデタラメじゃないか。誰かの意見を持ってきて、戦わせるのがニュース記事の論考の場所であろう。退団とは常に勝負だ。知識を持ってきて、それについて素晴らしいとか、ためになるとか、お世辞を言ってご機嫌取りの場所にしちゃいけない。だから、新聞は嫌いなのだ。災害が起これば、駆けつける。現場を伝えるのではなく、報道のあり方からふさわしい報道の仕方をするのだ。チグハグでいいのだ。あまりにも統制が行き届きすぎている。それを、何も思わずに金をもらっている連中が大嫌いだ。マスコミに関わる人間の言論の不自由さについて話し合うがいい。そういえば、くだらない女にあった。すぐに文句を言うのだ。上から目線なのだ。私は、その女を上だとも下だとも思っちゃいなかった。親が悪いとは少し思った。文句ばかり言う。余裕がないのだ。日曜だけ休みの低賃金肉体労働だ。シーツを洗っているらしい。顔はブサイクだった。この間あった男とやったが、キスはしてくれぬと言っていた。そりゃそうだ。その虫歯をまず直せと思った。でも、靴だけはとてもかわいい蝶々結びの黒い、ピアノの発表会にはいていくような靴だった。彼女もまた、少女なんだ。

男って本当に役に立たない

 気が回らないし、トイレは座ってできようになったけれども家事の手伝いなんてしちゃくれない。皿洗いくらいはしてるけど、テレビ見ている時になにか話しかけたりするのやめてほしいんだよね。黙って皿洗いしろってんだよ。それにさ、なんで美味しい料理を作れないの。夏はカレーって誰が決めたの。無理して彼の悪いところ書いてみても、やっぱり嘘っぽい。私は、思っちゃいないことが書けないらしい。好きよ好きよと、呪文を唱えてくるけど、其れでも甘えてくる彼に少しの頼りなさと嫌悪さをないまぜに感じながら、彼がいなければ私なんてちっともまともに生きられないだろうし、寂しさに飢えて男を求めてやりまくる夜が見えてくる気がするよ。ネットに溢れる記事がもう小説はいらないと言わんばかりにまでなってくるものなんだ。どうだろう、小説はいるけれども、エッセイはいるかな。とにかく、どこか着地点を見つけなくちゃならない。私はつい口が悪い時がたまにあるから、でもそれを私の本性だなんていうのはやめてよね。笑顔の時だって、落ち込んでるときだって疲れてる時だって其れは私なんだから。そうじゃなくちゃ、どうやってふつうにリラックスできるんだよ。タバコでも吸って、周りも臭い臭いなんて言わなければストレスにならない。周囲の寛容さが無くなれば、苦しくなるのはお互い様なんだから。そうじゃなくちゃたまらない。ああ、お腹が空いた、何が胃に入れよう。なんとも、具体的。

思考の広場として

 何が好きで何が嫌いかの話ばかりしちゃって何が楽しいのやら。セックスにしか目がないような人間じゃダメだね。前頭葉を働かせなくちゃいけないとするならば、お風呂に入って全身の血流を良くして頭の方に血を流さなくちゃね。シャワーばっかり浴びてちゃ健康に良くないのは知ってるよね!?

 でも、それができないんだ。なぜって、お金がかかるでしょうお風呂にお湯を溜めると。

 でも、ちがうんだ僕が言いたいことはそんなことじゃないんだ。すべての人が離れていって僕は感情を喪失して果たして自由になった時に、どこに私が存在するのであろうか。僕は一体何をすているのだろうか。僕は一体何を考えているんだろうか。なんて言ってもしょうがない。僕についての言葉は何も意味がないんだ。社会の要請だって?バカ言っちゃいけないよ。僕はじぶんを語る代わりに文句は言うよ。そこに僕が出るんじゃないか。

 今の社会ってのは、じぶんを語らないね。じぶんを語るなんてちゃんちゃらおかしいね。たぶん、なぜ僕がまともに文章を書けないのかというと何かに縛られているからなんだ。その前提を壊さなくちゃ僕は何もできない。しかし、そこからときは慣れて仕舞えば私はどこへ飛んでいくやら風船となって電線に引っ掛かって電車を遅らせてしまうかもしれなう。

 子供を抱えて踏切に佇む女になんて声をかけよう、君のしていることは正しいからやめなさい。誰も正しい人生なんて歩みたくないし、そんなものないんだよ、と言ってあげなくちゃいけない。人生なんてそもそも存在しないんじゃないか。周りのうるさいヤジがあるだけじゃないか。周りのヤジにあっち向いてこっち向いて、首を痛めて、そのうちぐるっと回りすぎちゃって首がいっちゃうんだ。それが人生に囚われた人間の末路。

 なんて、上手いこと言っても誰も褒めてくれやしないんだけどね!僕の聞いているのはビートルズ。僕はポールよりも、ジョンだね!でも、ジョンは死んじゃった。ジョンは死であり、ポールは生だね。人間はみんな長生きしたいとは限らないんじゃなかろうか。死ぬってのは権利として成り立つのか知らん。死刑制度がかろうじて・・・僕の考えは危ない。非常に危ない。みんな生きたいんだ!といって、相模原の障害者施設大量殺傷事件で亡くなった19人を殺した、なんとか聖って奴について、僕がここでまともに自由にものを言っていいとしたら。お前こそ、って話なんだ。一人で解決できず、そして、周囲の声を実現したと思っている。お調子者で、気が乗ると調子に乗る。友達が離れると元気がなくなるタイプの人間。たいていの人がそうであろう。一人でいるときはとても寂しそうで、ふたりでいるときはとても楽しそう。でも、それって、例えば一人じゃ何も楽しめないっていうのかな。だいたい、集団が好きな人間ってのは、その集団の中にいる自分が好きなのかそれとも集団が好きなのかわからない。少なくとも、語れるのは自分の反応でしかないのかもしれない。其れを感性というのだろう。

 相模原の事件は、陰惨だ。悲惨だ。流血事件だ。しかし、もっと言えば、全く無関心なんだ。あの事件を犯したからといって、私の人生に何か影響を与えるだろうか。与えやしないだろう。しかし、社会に影響を与えるだろう。人は社会に何かをおいて、個人はいきいきと生きることにした。その活力を社会に還元するという考え。どうだろうか。殺人事件の背後に事情がいくつもあるのは想像に絶するが、兎にもかくにも、聖なんて名前が良くないな。偉そうで。お高く纏ってる。自分を正しいと疑ってたまらない。つまりは、テレビの歴史は、規制から今度は規制緩和に流れていくだろう。テレビで規制が増えるほどに、巷はゆるゆるになっていく。法律が犯罪を構成し、人々を駆り立てる。警察官が人を殺さないのが、不思議なほどだ。 

 

テストだ

 商法のテスト全くできなかった。定期傭船契約ってなんだよ。あんな細かい所突いてくるなんて思わなかったよ。大事か?まあ授業では強調してたのかな。授業出てないしわかんないよ。しょうがない。次に繋げよう。

 民法民法は曲者だから死んでもしょうがない。しょうがないのは滝沢カレンの華麗な日本語だ。俺は彼女が始め大嫌いだったが、今は好きだ。日本語は滝沢カレンがかえていく。要するに彼女は語感が失われてるんだな。語感ってのは共同体の中で同調だ。俺だって気持ちの共有、つまり共感は大嫌いだ。距離を取ってしまうんだ。それを歌ってしまいたくなる。突っ走りたくなる。それは俺の悲しみじゃない。君の悲しみだ。お返しします。そんな悲しみと付き合えなんて思わないけど、感染させるのはやめよう。

 最近さ、EDMが好きなんだよね。あの、リズムだけの歌がいいんだ。意味はフォークソングに求めれば最高。セカオワの、精子が死んだ歌は彼女が好きだから俺も好きだが。それ以外は圧力にしか感じない。曲で勝負しろよ。曲で素晴らしいもの作れないくなっちゃったかな。音楽音痴にわかりやすいのは衣装とかゲスニュースだからしょうがないか!

 テレビもf1層狙ってるんだってね。見てる分に面白くないけど。面白かがって見てる人と見ると楽しいもんだね。周りの人が楽しけりゃそれでいいんだ。その代わり、自分は楽しくもなんともない人になっちまいやしないか、なんて心配アホらしいからやめよう。

 違う違う。音楽は時代を反映するんだ。音楽が嫌ならその時代を嫌っているんだ。時代は人が作る。

 そんなこと思っちゃいないくせに。思っちゃいないことばかり言ってたらおかしくなっちまったぜ。しょうがない。しょうがないんだから。それにしてもコンタクトはどこだ。そうだ!

 長旅が待ってる。長い旅だ。喧嘩しないようにしようねって約束したから。喧嘩しないように心にゆとりを持って行こう。

 そういや、今夜までにフェリーで帰るか決めるって言ってたな。楽なのはフェリーだけれど。財布は辛くなっちゃうね。高速でのんびり帰っても2万いくらかかるからね。それに下りでしょ。混む。でも、バイクだからすり抜けられる。

 ああ、奥田民生が俺の心に至らな。全身脱力で気持ちいことばかり考えてハイになって、作品制作意欲に燃えて全世界が燃えていくんだな。

 なあ、男ってのはロマンチックでメランコリックなもんなんだ。女は違うね。シビアにしか世界を見れないんだ。そう見るのが彼女たちの習性だね。本当のロマンチックは男女平等の後に生まれるんだろう。もちろん、女の人だって経済活動してるんだから。家事だって立派な労働だ。労働してるのが偉いのか。資本がないから自らを動かして金を稼いでいるに過ぎないんだけど。根本には、集団的無意識がある。注文したラーメンがかぶれば気持ちが合うなんて思ってるような連中さ。ああ、やりたくもない、誰も見ないようなもんを夜遅くまでサービス残業で作ってるんだから、日本人は集団になればバカみたいなことを真面目にできるんだ。面白いね。

 北朝鮮が崩壊すれば、一体どこが北朝鮮の領土を占領するんだい。アメリカはお金がないよ。奴隷制度の復活?西洋人の右翼は人種差別主義者だ。日本は奇しくも差別されながらも欧州の傘かに入ったけれど。じゃ、中国はどこいった。奴らは、死ぬときは死ぬし。何も考えないで生きてるんだろう。インドは?タイは?どこが強いのか。アメリカが軍事力最強だって?何が警察国家だよ。余計なお世話だ。しかし、そんな屁理屈彼らに通用しない。暴力で介入しどんどん力を蓄えていく。内部から緊張感をほぐさなくちゃダメだね。

 そのまんま東が言ってたけど、安部がおとなしくなった。加計学園問題。稲田防衛省問題。で、内閣支持率が30パーセントに落ちてからおとなしくなった。謙虚な政権運営では必要な態度だよ。偉そうな奴に偉い奴は人っ子一人いないからな。

 

ぼく

 碌に勉強できなかった。レポートも書けていない。理想の半分は達成したかな。まあ、それでいいか。あとは野となれ山となれ。

 今の僕はおかしいと思う。記憶はすぐなくすし、余裕がない。焦りばかりで美味しいご飯も台無しになる。漠然とした未来への恐怖がある。それを楽しめればいいのだが。男はスリルを好むと誰かが言った。女はそれをバカだと戒める。さて、男はどう出る。女に好かれたいから、平穏な生活で認知症になるか。そして、女に捨てられるか。それとも、文句を言われながらやりたいことをやって、賭けに出るのか。つまり、私の言うことを聞かないのねと言いながら、去っていくのか行かないのかのスリルを楽しむというのか。スリルはどこにある。ヨドバシカメラにはない。安心した生活にはない。僕の悪いのは、どうも鬱っぽいところである。自分を責めるのだ。自分を追い込んでうつ病になって死んでしまえと、思うのだ。死ぬことに関して、私は臆病ではないと思う。いつだって、今この瞬間に消え去っても構わないとさえ思っている。つまりは、生に執着がないともいえるが、生から見放されてるとも取れる。生活に誘惑がないのだ。未来は暗い。期待できない。そういった強い漠然とした思いが、私の思考と共によく現れるようになった。私は私について何も知らない。寿司の値段は高かったように思われる。もっと安い店はいくつもあったのに、私は値段でご飯を選ぶようになってしまっているのだ。なぜならば、ストレスのため味がわからなくなっているからだ。そして、焦りばかりなのでゆっくりご飯を食べることもない。愛を受け取ることもない。私は今少し疲れている。明日のテストがあることさえわからない。だから、行かないでもいいのだ。なぜならば、私は本当にダメ人間で講義も碌に出ていないから本を読まなくちゃならないからなのだ。しかし、それに理由をつけて解決しようなんて思いたくない。私の生活は相当に破綻している。もうダメかもしれないと思っても、死にはしない。ただ、前頭葉が萎縮して血流の流れが極端に悪くなっているなと感じるばかりである。どうして、人間は自分の心の余裕を忘れてしまうのか。生きるために死んだような生活を送っているように見えるのはなぜだろうか。現代は人付き合いを嫌う。なぜなら、自分だけの世界に閉じこもっていたいからだ。人の話を聞かない狭い心を持った人が増えた。そう、私は私の話を聞いてもらいたいのだ。それならばカウンセリングへ行けと言うだろう。そんな金は使いたくないからつらつらブログに言葉を書き連ねて誰も読みもしない愚痴をただ書きまくっているのだ。日記こそ、私の人生だ。私の人生は日記に書くために存在している。つまり、人生は人生のために存在しちゃいない。ジョンレノンが「人生を忘れたとき、君は本当に人生を歩んでいるんだよ」といった。彼の曲がそうであろう。人生について考えるとき、私たちは人生を遠巻きに見ている。有る事無い事吹聴して人生について言葉を費やしている。ああ、私はどうして・・・嘆きたい。存在について。そして、金遣いの荒さについて。ケチであるのは美徳だ。今の私にとって。それは、金以外の価値を見つける手段になりうるからだ。たまに、死にたくなる。死ぬんだと思えば、何も怖くない。同時に、何も感動しなくなる。バカみたいに笑って、バカみたいに生きていればもっと楽しい人生があったのかもしれない。私にとって楽しいのは、美味しい料理を食べることよりも本を読むことにあるのだろう。私はそうでもしなくちゃ何が楽しいのかわからないのだ。つまり私はバカなのだ。一人で本を読むことなしに何も物を考えられないのだから。それはしかし、物を考えるのに自分を過信していない証拠でもあるのだ。それをここに書いたからといって何になる。

 

 鉛色の空を西日が彩る

 やがて、黒が空を覆い、明るい光が道を照らす

 同級生たちは、他人となった

 親も、他人となった

 さて、私は一体他人をこれ以上増やすのだろうか

 

今日のこと

 フランス語の試験がうまくいかなかった。意識を殺して授業をやり過ごした。高笑いが聞こえる。隣の奴が俺と組んでうまくいかなかったからとやり直した。先生も気を使った。疲れる。気を使われると疲れる。スルー力と叫んでいたのは昔のこと。今はもう何も言葉が心に引っかからない。書くことはたくさんあるはずなのに、書けない。意見を書かないで済まそうとしている。距離感を失い記憶力も著しく悪くなる。ある一つのところへ行けばいいのに、それを阻止する何かがある。それがなにか私はわかっているが、口に出したくない。

 末っ子は嫌いだ。甘えん坊だし、感謝を知らない。乞食のようだ。見窄らしく貪欲で怠慢、おまけに臆病。すべての末っ子に言える。だから嫌いだ。死ぬことの何が惜しい。

 自分の意見を吟味した。何も言えない。法律は守るべきだが、破ることだってある。ほら、停止線を超えた。法律を守っているかいないか。それを判断するのは警察か自分か。公的に制裁を食らうのは警察の目の前。先週の日曜、直進道路に車線変更できず左折レーンへ。信号変わり交差点に進入して直進。交番のお巡りが笛を吹いた。タクシーをすり抜け公園にバイクを止めた。バカな警官だと思っただろうか。つまり、私は何を考えているのか。私流に考えるのが個人主義じゃないか。しかし、ざまみろアホと警官に思うのは違う気がした。感じないのだ。感じないようにしているのだ。そうじゃなくちゃ何も務まらない。私は不真面目だ。そう見られても構わない。皆の顔が生き生きとしていたり、死んでいたり見える。何を考えているのか。今、私は人と話したくない。余裕の無さよりも人からの差別を感じる。世の中の大部分から外れた軌道を走っている。合流しても大していいことはないのもわかる。要は、天国から帰って娑婆に帰ったような。

 日本も外国も変わらない。人がいる。人がいれば挨拶をする。挨拶だけが純粋な気持ちだ。それ以外は意図がある。面白くない。世の中が面白くないのか私の前頭葉のせいにして自分を苦しめるか。お風呂に入らないのが悪いのだろうか。難しい質問に答えた気にならないのだ。私は先生の授業の答えを書くつもりはないのだ。ああ、では何を書くというのだ。私を突き動かしているのは、倦怠感からの恐怖か。わからぬ。ただ、今私は顔色も悪く体の元気も失われている。快活さはなくなり、日々に埋没して何もない日々を何もない顔で過ごしている。思考は停止し。テレビとネットの情報を鵜呑みにし。世の中の変化に敏感で、日常生活では花に水をやり忘れかれているのも気が付かない。メディアは自由を奪った。否、国民が捧げた。政治的平和の実現のために、花を忘れるのだ。国民は搾取されていると感じるのだ。政府は国益のために国民を搾取するのだ。先生はただ従うべき対象で時には良き友人のようだ。友人の話は面白くなくても笑えるものだ。テレビは、つまらないつまらないといいながらも見るのだ。ネットは、何を検索すればいいのかを検索するのだ。電車は黙々と私の体を箱に閉じ込めて何処かへ送り飛ばすのだ。ああ、悲しい日々よ。私はどうして未来を捨ててしまったのか。田舎の暗闇に映える緑よ。聞こえてくる電車の音。お腹を壊しそうな冷たい冷房。人と喋りたくないという本気の嘆き。特に学生の画一的な側面。学問は自分のためにするもの。私は鬱だろう。おそらく。何をしても喜びが感じられないのだ。禁じられたことをしない限りはね。