アウトプット

相手の視点に立ってみよう

動画編集

 メモは見返さない。色褪せ、懐かしさが残る。動画の編集は、楽しいのだ。しかし、同じような動画ばかり作ってるのは楽しくない。だから、一工夫なり、なにか、全然ちがう動画を作りたいのだ。なぜって、その方が面白いから。趣味なんてありませんよ。ただ、バイクに乗って。野山を駆け巡る。それだけです。美味しいご飯も、風光明媚な風景も、そこにうっとりするなんてことはない。突然、話しかけられて、ちょっと思い出になるくらい。人脈作りのためにバイクにまたがっているわけじゃない。まして、警察から逃げるためでもなし。とにかく、新しいことがしたい。といって、新しいことというのは、俺にとってだ。根底に、爆発がある。爆破により散乱した破片をコラージュして、動画を作りたいのだ。そうするしかない。今でしょ。

  資産を運用して、将来は好きなものを買って好きな時に好きなことをして生きていけるようにしよう。というのだろうか。資産は運用できても、人生に身をまかせることはできない。決まり切った毎日がやってきて、動かせるのは金くらい。手と足は縛られて、お金に羽が生えて飛んでいく。精神論万歳。何が資産運用だ。それを運用して、ベンツでも買って伊勢丹でお買い物か。わざわざゴミを高級車で買い付けに行くことはない。それがステータスだと思ってるのは、貧しい。人間としての面白みに欠ける。人工知能が好きになる人間の類だ。あんなもん、なくても生きてるじゃないか。先人たちは生きてきたじゃないか。きみは、自然の知識はなんにもしらない。自然の運用についても。まして、人間の心理や欲望さえも。俺は知ったつもりでいるのかしらん。それは良くない。知らないことは知らないと、言えるのが良い社会だ。先人たちは、とにかく生きてきた。だが、現代は、より合理的に生きようとしている。余暇、なるものをみとめない。まして、なにもしないことをみとめない。何もしないでいられる人間は天才だと、オスカーワイルドは言った。彼は、ゲイで牢獄に入れられた。19世紀後半の話。彼の獄中記を読みたいほどに、ワイルドの作品に恋い焦がれた。王子は、出遅れたツバメと過ごす。王子のきらびやかな装飾を、ツバメは貧しい人たちに運んでいく。ついに王子は、みすぼらしい銅像となった。ある、数学者が、これはみすぼらしいと言って実用的に再利用しようと考え、溶かされるのであった。恐怖は自分の中にある。自分の中の恐怖、偏見をどうみつめるか。冒険するしかない。傷つき、嗚咽し、悶え苦しみ、そして、快活に振る舞い、自由闊達に行動し、淡々と物事を受け入れいていく。なんという甘美。世の人たちは、あまりに快楽を追求しすぎて、そのあとにくる体のだるさを忘れている。シエスタシエスタ。ひなたぼっこだよ。太陽は、私たち全員に降り注ぐはずだ。そうだろ?

ゴッホ、最期の手紙を観てきた。

 ゴッホより、普通にラッセンが好き。ラッセンの絵は綺麗だ。綺麗な海に、綺麗な夕日。とても綺麗だ。形が美しい。しかし、ゴッホの絵は、ギトギトしている。油まみれで光っている。生きている。生の中に、生身の美しさがある。彼の死は、腹を銃で撃って二日後にやってくる。銃弾を取り除くよりも、死を選ばせたのは医者だったのか。延命治療を、ゴッホも望んでいなかった。彼は、死をもって弟のレクイエムにした。その後、弟も死んだ。弟の妻が絵を相続した。彼が、なぜ死を選んだのか。牧師にもなれず、流浪の男は、精神科の家にときおり顔を見せ、医者と懇意になっていく。医者はゴッホと息があった。話があった。医者は、絵かきになれなかった男だ。ゴッホは、ある日医者に、貴様の人生など戦いもない、似非芸術家だと言い放つ。医者は、ゴッホの生活費を工面する弟の梅毒を告白し、どちらが人生と戦っていないのかの話になった。比べようもないのだが、人生とはおおよそ、全般的に生きられなかったのだろう。彼は、かなり神秘かもされたのだ。シャーマンのように絵を描き、売れもしないのに、絵を描き続ける。芸術家が、金に目配せして絵を描くのとは違う、本物さがゴッホにはあった。結局、彼は死んだ。医者は球を取り出せたろうけれども、ゴッホを尊重した。そんな話だ。油絵が6万枚かさな練られて、絵本のようであった。余計な物に心が乱されることがなく、純粋に人間の言葉を感受できる。だから、ストーリーが明白だ。物に惑わされ、変な解釈を自らも知らずに行うことのない映画で、ゴッホらしい。彼もまた隠喩など好んで使う人間じゃないような気がしたからだ。

ああ、別に書くことないけどね。しかたないね。心が丸裸な感じ。嘘つけるっていいね。嘘付きたいな。で、喜ばれたい。嘘だから。嘘を本気にしてほしい。だって、嘘だよ?嘘って、楽しいじゃん。本当のことって、それって、本音でしょ。本音ってききたくないよね。突然、本音って嫌だよね。テロだ。本音なんて言わなくていいよ。全然聞きたくないし。嘘を言える環境がほしいね。本音を言える環境は欲しくない。きついよ。本音を話されるって。だって、本音って、重いじゃん。超疲れる。それに、意味がない。本音なんて、話してもらわなくたってわかるじゃん。わかるでしょ?だから聞きたくない。自分が考えていることを相手に言われて、いらぽよでしょ。わかってるよって。わかってないと思ってるのって。今まですごく辛い思いしていたのに、てめえ、気づかなかったのかよって。気付かれていなかったのかよって。本音ってさ、言いたくないね。言われて欲しくもない。ああ、本音、本音。別に怪しまないよ、本音で話さなくても。本音じゃなきゃ疲れる〜とか、ギャルはいいよ。バカだから。それか、性格が合わないんだよ。だから言葉が必要で、しかも、その言葉って、すごく意味不明。理解できるけど、したくない。そんなもん。逃げてるって?洪水が来て、泳ごうとするやついるか?バカみたいなたとえ話だって?煙に巻いてるって?それって、本音?笑笑 言われてもいい本音と、嫌な本音がある。言われてもいい本音だけ聞きたい。案外、難しい。コミュニケーションできないってすごく楽。断絶。疲れるもん。コミュニケーションから楽しみ必要?いる?いらないよね。趣味で集まればいいじゃん。助けあい、ねえ。助けられる気はあっても、助ける気がない人が多いよね。自分勝手じゃん。見え透いている。って、わかったような言葉はいちゃって、最悪。もっといろいろやれたのかな。自分は悪いことしてるのかな。頭がぱっかーんってならなくちゃね。もう、そこまできてる?わかんないな。経済は難しい。政治は嘘ばかり。だって、本音で話したら政治家なんて無理。経済も無理。バイクに乗らないと、車のデザイン性のなさがわからない。快適だよね、車は。そんな快適なら、家にいればいいのに。プロセスが楽しいんだ。ま、車批判からのバイク賞賛みたいな流れって超バカみたいだからやめよう。バカも、つまらないバカなので、やってても退屈。アンニュイ、アンニュイ。死ね死ね、自分しね。と、言い続けた期間はなんだったのか。醜い自分は死ぬべし。そう考えていた自分は、自分が醜くないと思い込んでいた。輝いてもいた。もう光らない。帰らない。老いていくばかり。失われていくばかり。それでこそ、光り出す。辛いときに、幸せになる。毎日が、不満な人たちは生きていない。生きるのって疲れる。長生きは辛い。本当に。今の40代くらいまでかな。長生きがいいってのも。生きる術はあるのに、楽に死ぬ方法はない。私は死にたいのかな。認めたくないけどね。生きるも死ぬもどっちでもいい感じ。べつに、どっちも同じだから。選択しているようで、選択していない。何も変わらないものはない。今、嘘ついた。変わらないと書こうとしたけど、老子を思い出した。中村元を思い出した。変転常ない世の中では・・・。世の中は変転する。制度は破綻し、平和は失われ、戦争はなくなる。変転に気づかないでいるだけ。自分もいっしょにかわっているから?じぶんは変わらない時、世の中は変転している。静かでいること。動かないこと。そしたら、周りの変化に気づく。世の無常を知るは、自己を落ち着かせることかもね。うまい、解釈。拍手喝采。生活習慣帰るって難しい。みんな一斉に変えなくちゃならない。戦争とかね。戦争賛成論者は大抵、チャレンジ精神がない。戦争はネットを生んだ。過去の実績だね。さて、何か生もう。戦争するか。考えとしては、ふつう。やってることも、ふつう。だから、普通ってのが一番タチ悪い。戦争はダメ。いいよ、男が死ぬだけだ。女も多少は死ぬだろうが、男ほどじゃない。戦争賛成!なんて叫ぶ女は、末が恐ろしいよ。自分さえよけりゃいいなんて、思ってるのは貧しい。なぜ貧困かって。一つだよ。考えが貧しいからだよ。心が貧しいからだよ。ぜったい、そうだね。譲らない。金のせいじゃないね。金与えても、旅行三昧か貯金かな。車新しくしてみる?バカみたい。自分はちっともよくならない。服だってそう。本当は、同じような服を綺麗に洗ってきてる人が一番好きかも。お洒落なやつって、ダサい。すごい真っ赤な服とか、ダサい。あと、髪きめてるのも、ださい。ダサいとかネガティブはつげーんとかいうのは、ダサいに加えて面倒。いいじゃん、笑ってダサいっていってるからチャラにして。優しくなろうよ〜。ダサいけど、似合ってるからいいじゃん。しかも、お洒落なんだから。って、感じかな。自分が着たいもの着りゃいいんだしね。ダサいって気にするのが、ダサいのかも。一周した。よしよし。これくらい、頭の中お散歩しないと健康的な毎日はおくれませんもの。ああ、拍手拍手。みんな幸せになっちゃったら、今幸せな人はどうするの?不幸に突き落とすの?んー。そうだね、気が進まないことを無理しにしちゃ、ダメ。金につられて、やりたくもないことしちゃ、ダメ。金がふえても、時間がない、女は寄ってくるから自尊心溢れる、心は豊かになる、絵画見たりする、絵なんてかきもしない、女は本音で話してくれそうもない、仕事ばかりが増える、女も増える、絵は余計に書かない、劇を見に行く、お洒落して、本は余計に読まない。さいだいの不幸は、みなさんの幸せと、わたしの幸せが、マッチしないこと・・・。価値観の相違?かもね。でも、自分の価値観なんて、自分の肌から生えてる毛みたいなもんで、気になって切ったりもするけど、気にもしない。じぶんの腕にはえてる毛をずっとみて、遊べるみたいな感じ?とかく!ひとは、動いているものが好きさ。読書で動かすのは、目だね。自分で動かす。映画はあちらが勝手に動く。映画の方が人気だ。ってことは、あちらさんに動いて欲しいんだね。あと、大事なのは、理屈に流されないことだな。理屈は使うもんだ。相手をやり込める時、相手を黙らせる時。でも、やりこめたり黙らせたりしたら結局互いに嫌な思いになる、理屈ってのは相手が、その理屈に従わなければ変人だと、世の中から烙印を押されるぞ、嘘ついたら鬼がくるぞっていう子供騙しの、大人バージョンだね。子供は理屈じゃ動かない。大人は理屈で動く。子供が理屈で動き始めたら不幸だね。大人が理屈で動かないと・・・。とにかくだ、行き着くところに収まった。きょうも世界は平和だ。素晴らしい。嫌なことがあった人、良いことがあったひと、合わせてプラマイゼロ。プラマイゼロって好きなんだよね。だって、悪い時の次に良いことがあって、良いことの次に悪いことが来る。子供産んで家買って仕事辞めてはい謎の老後を送り無事、昇天。滑走路に、一列に並んで飛行機が降りてくるように、火に焼かれるのか。火葬だもんね。他人の痛みがわかる人は、そんな人のところに近づかない。突然倒れたら助ける。でも、ずっと倒れている人は助けない。動き。動作。それこそ、生命。死者に近寄りたくはない。そんなもの。死さえも、乗り越えて、火に包まれながら生きる。体温、それが人間。それが、人間。人間は熱である。

 バカになりなさいと、言われているような気がする。なにか、バカにならないといけない。みなが考えるように考えないように、みながするような真似はしないようにしようと。じぶんのやりたいことをあゆみ、じぶんが思うように思う。それが、大事なようです。学校の先生は、たいへん。教えたくもないルールを教える。誰も従っちゃいないような。そんなルールを教えるんだ。あたまも硬くなるさ、嫌われもするさ、ストレスもね。育てたくもない子供たちを育てなくてはならない。そもそも子供が育つのは、生理的な成長で、頭が育つなんてクレイジーな精神病棟みたいなばしょで、一体普通でいられるはずがないじゃないか。だから、適当が一番いいんだ。いい学校というのは、あるかもしれないが、大したことじゃない。学校全体を、いいとかわるいとか言えるはずもない。たいへんだ、学校の先生は。先生を思いやらなくちゃダメだよ。じぶんも大変だから、先生も苦しむべし、なんて、思うのは互いによくない。適当が一番いいんだ。文句を言うのは、いかなる理由があってもしてはいけない。黙って去る。それでいいんだ。文句はききたくないね。ちゃんとしているんだから。ま、いろいろ知ってるけれどさ。いいんだ。学校って環境は、あんまり楽しくないね。学校が楽しいなんて、頭が狂ってるんだと思う。教会的な安らぎの場所だったな。適当に生きてりゃいい。まわりも、認めてくれる。学校ってのは、最高に楽なところだ。僕はバカだ。僕はバカだ。バカになろう。もっと、考えて。客観とか、主観とか、そんな言葉も使ったり、使わなかったりしながら。やらまいか精神。やってみなくちゃ、わからない。悩むより、行動あるのみ。それでいいじゃないか。風をまっている。

ぜーんぶ僕が悪いのです。ほかの誰も悪くありません。君は盗みをしたんですね、僕のせいにしますか?やはり、そうしますか。とんずらこいて、どこかいきますか。べつに、わるいことだとおもっちゃいないのなら、正々堂々としていればいいじゃないですか。どうしてそうも、焦っているのです。好きなことばかりやっていては世間様に申し訳ないとでも思っているのでしょう。世間様は偉いですからねえ、偉いというより、暴力的ですから、とても、長くお付き合いできる相手ではないのです。だから、なるだけ世間との関わりは少ないほうがいい。だれも、世間なれなんてしていません。自分こそ世間だという人間がいるでしょうか。常識、常識とばかり言っている人に、はたして、常識的な話し方で常識を説いているでしょうか。それが、あいてに伝わったと、思っているのでしょうか。独善的でしか、ありえません。どうして、そうなの?

すべてはお金です。職業作家は、お金のために脳が変質してしまったのです。売れなくなるとフィーリングを疑い始めます。これはか弱い人のすることです。狡猾と呼ばれる人、アクが強いと言われて、一般には近寄りがたいけれども、とにかく、名前がながくのこれば世間様に一目置かれて、まるで、神様のように扱われるのです。魂を売るのです。フィーリングを共有できる仲間を見つけネットワークを作ります。それができるのが、ネットであり、また、自分自身でもあるのです。どこにいってもいきていける、それが、人間の基本的な生存本能です。虚栄心は、基本的な生存本能の埋め合わせでしかない。不能であるわけです。女の裸を見て、勃起しないのを。女になめてもらってぼっきするような人間を健康だとか、女慣れしただとか、年の功だとか、制欲がなくなったとかいって、結局は不健康でしかないわけです。今の時代は、弱ければ弱いほどに手厚く保護されます。そして、強いものは勘違いをしている、そんな世の中です。優しさが偽善と言われずに、優しさと言われ、素直な時代にもなりました。悪くないと思います。地方は、相変わらず疲弊しています。潤うわけがありません。一時期です。仕事のない人間は、自分に能力があると信じて疑いませんし、譲りません。当然です。自分に自信がなければ、とっくに仕事をしているのですから。身につけた、セルフイメージを捨て去ればたいてい、あなたの願望は叶うのではないでしょうか。ろくすっぽ、まともな人生を送れていない人間がいたら、私は、彼の背中を見て悲しくなります。近寄りたくありません。まずは、そう思うのです。そうでなくては、どうしても相手に対して嘘をついてしまいます。それこそ、嘘八百です。相手にもされません。人間としてフシダラです。余裕がないからできないと言います。できないのは勝手ですが、理由が贅沢です。余裕など、あってないようなものです。あるのは楽で、保つのは危険です。とても、余裕なんてなくてもいいようです。先延ばしにできる期間があるということに他なりません。私は諦めれています。あいてにもそれを求めます。わたしを諦めてください。あいては、求めます。わたしを、諦めてください、と。嘘ついて嫌いな男と付き合って、素晴らしく世間体のいい家庭を持てば幸せになれます。それは、だれもが知っている道で、その先も大抵お決まりです。夫は仕事に出て妻を放り投げ、それを嘆いた妻は夫に愛想尽かして他の男に色気を感じるのです。しかも、金があって夫の苦しみもわからないような、そんな遊び人です。夫のような、稼いで妻を養わせていると錯覚している人物は、ネットワークの中に入り、その関係性から遊び人は自由です。その代わりに、遊び人に安定はありません。安定を求めれば夫に成り下がるからです。日曜の公園は、夫の活躍す場所です。隣のテントのブランドは、値段は、車の値段は、デザインは。じつに、くだらないことで平日の自分を呼び戻し、苦しみます。夫はいつも可愛そうです。かといって、甘えるだけの可愛さもなく、こちらから面倒見てやろうにも、会社にいるほうがよほど面倒見もよくて、命令もよく聞いているようなので、差し出がましいことはしないのです。不倫は、唯一の楽しみです。仕事を、看板に女を集め、見えない敵に、女を集めたとの、長持ちしないプライドを持って、女慣れだけはいやみったらしくもっていて、そのノリで女の子と接していると嫌われるのです。男は幽霊になりましょう。記憶はなくて、あるのは目の前の優しさ。ルールは、ガイドブックを見れば書いてある。それを理解できる能力をもちましょう。ルールは覚えるものじゃないのです。一定のやり方に効率性を見出すでしょう。それに喜びを感じるのは、効率の奴隷です。結婚しないのは、どうせ嫌いになるから。そして、あいてに嫌われるからです。いろんな人と恋をして、ドキどきしていたいもの。だから、三日で別れてみれば、3年続いて、浮気をしてみたりする。どっちにしろ、純白ではないわけです。わたしは、人に教えるほどの倫理観はないのです。ちっとも。だから、いちばん道徳的です。倫理的です。観念が交わると、倫理は崩壊して、あるのは規律だけです。それだけでは、倫理は成り立ちません。だれが、刑罰も、執行機関もない法律を重視するでしょう。世間様くらいです。信頼と言って、容赦なく人を差別します。だれも、信じられない。信じるだけの、目をもたない。だから、人を見ず経歴を見てその人を判断する。まことに、怠慢です。すぐに去るべきです。いったい、自分も嫌いで相手も嫌いで、どうして、こちらから好きになってもらおうとするんですか。ブスをふりむかせるのに、可愛いねと言ったところで、ブスはわかっているし、こちらもかわいいね、しか、思い浮かばないので、ブスさ振り向かせられないでしょう。きこえるのは、波の音だけ。みえるのは、お月様。暖かい風が松林に吹いて。わたしは朝が来るのをひとり楽しげに待つ太平洋を望む男になりたい。

楽しいことがあった、どうでもいい。じぶんは悲しみが好きなのだ。貧しさを好んでいるのだ。そう思えた。アホだと思った。認めたらおしまいだと思った。精神分析とは、そんなものだ。そんなたいそれた、名前をつけなくてもいい、なんか、素直に思ったことを、いや、考えていることを線を描くように書けばいい。何かを人に強いないようにするのは難しい。それは、間接的に何かをするように仕向けてもいるのかも指令のだから。何が正しくて、間違っていて、それは、本当のところどうでもいい問題に過ぎない。そこに視点がいって、何か大事なことを見過ごしているのだから。それだからこそ、議論は永遠と終わることなく続けられていくのだろう。ただ、話すために、思っていることを口にしてそれが相手に受け入れられるために。べつに、何かやりたいことがあるわけでもない。でっち上げるしかないじゃないか。何かをでっち上げて、みんながやりたいことになれば、大成功といったところだろう。大成功さえ求めなくていいのだ。別段、人を差別することもない。ただ、性関係があるのみ。だれとセックスして、セックスする相手とそうじゃない相手がいるだけ。だから、愛は、他の人間関係とはちがっていなくちゃならないんだ。そうだろ?定義なんて、してもいいけれども、把握しきれないね。ひところうまいこと言ってみたところで、それを他人にも理解させなくちゃ気が済まない。そんなもんさ。自分一人じゃ何にもならないってあきらめがあるんじゃないの。あいてのリアクションがないと、自分の存在がないように感じるんじゃないの。だから、自由に感情を表現すれば、喜ばれる。存在するのだから。そして、受け止められているのだから。ときには、ケンカさえ、そうだ。本当に馬鹿らしいように思われる。何を求めているんだ。それは、おれから奪えるものなのか、俺が与えられるものなのか。それをわかっているのか。わかっているけど、わかったふりして、やっているのか。人を裁くことは誰にもできない。ただ、自己主張があるのみだ。わたしは、主張がないおしとやかですと、黙ってニンマリしているような人間は、相手の心にものを言わせようとしている怠け者だ。嫌いだ。実に嫌いだ。それは、私もそうやって、相手が動いてくれれば、楽だと思っているからだ。それを知るべきだ。何も。自分の思っていることを何でも口にする人なんていないのだ。ただ、あいての反応を知りたいのだ。自分の話で相手が応答してくれればそれでいいからすきなように口を動かすのだ。音楽もそうかもしれない。ひとり、自分のために作られた話を、他人にも聞いてもらいたいと思うようになるときに、どうして、それをしようと思ったのか自分に問うべきだ。じぶんが、つまらなく感じるからだろう。感情が枯れてしまったからだろう。なにか、得意げに振る舞いたいと思うからだろう。そのためには、他人が必要だ。他人は、ただの、自分を承認してくれる人に過ぎないじゃないか。それは、自分を失うことに他ならないじゃないか。自分は他人に嫌われても他人に好かれても同じように接するだろう。それこそが、誠実さだろう。誰に対しての?誠実という言葉に対しての誠実さである。あの人は誠実な人だというとき、それは、ある一定の人であってはいけない。もし、ある一定の人に対しての誠実さであるのならば、彼は誠実さを利用するだろう。自分の誠実さを受け入れてもらうために、誠実であろうと振る舞うようになるだろう。そのとき、かれは誠実な人であって、誠実ではないのだ。誠実な人は、誠実っぽいけれども、それは、誠実じゃないときもあるということだ。誠実だというとき、誠実であろうとすること、言葉は、本質を言い表すのか、それとも、相手を誠実に落とし込めるのか。どっちもある。