アウトプット

相手の視点に立ってみよう

僕は頑固なほどの客観的なことを信じない

 客観的なこと。それは僕に関係することだろうか。もちろん頭痛がした時、その対処法としてコーヒーを飲む。それは、血管の拡張を抑えることで血管が神経と接触するのを防ぐのにいい。しかし、これが客観的かわからない。主観的であるとはどういうことか。そうやって、調べること。コーヒーを飲むこと。主観がなければ客観さえ存在しないじゃないか。客観的とは何か。それについて語っても金にはならない。しかし、金で買えないものの価値をもすこしはみつめなくちゃいけない。エコノミックアニマルと言われて何が悪い。経済だけ考えてきた、宗教的なものを排除してきたから欧米のように戦争が起こらずに済んでいる。宗教対立を理由に。しかし、戦争が武器を売り買いし、壊すことでそこの人々から生活を奪い何もできなくなった人々をまるで奴隷としてこき使い働かせ、これは行動経済成長の日本の姿じゃないか。働いて働いて楽しかろう。みんながすることをするのが大事なのだ。いまだってこれからも戦後だろう。戦後レジーム何て言葉の無意味さを切に感じる。女性活躍。女は活躍してないってのか。体力も違う男と同じだけ働けというのか。科学的なふりして科学じゃない。感性が腐ってる。腐りきってるこの国が俺は大嫌いだ。日本賛美するのはいい。しかし、俺がみてるこの国は嫌いだ。ある人が嫌いだというと、言葉通りに受け取るのはバカだ。何が詰まってるに違いないのだ。日本が嫌いだというと、罵詈雑言をはくやつがいる。それは自分の心にこの国が嫌いだが愛さなくちゃいけない理由をみつけようと、また、信じようとしている。好きになろうと無理をしているのだ。つまり、君も嫌いなんだよ。言葉で好きだ好きだということほど楽なことはない。言葉は人を偽ることもできる。それができないのが文学の世界だ。嘘の心は文学によって裁かれる。だから、文学は嫌われる。漫画がもてはやされる。心が硬直しているんだ。文字が死んでいるんだ。目で見た印象だけで生きているんだ。絵は、全く不自由な代物。文字は自由に絵を形作る。証明しろという。言葉で。僕は別にいい。いくら証明されても好きなものは好きで嫌いなものは嫌いなんだ。理屈をこねて嫌いなものを好きになろうとすることは不可能だ。この感覚の方が証明よりもずっと真実に近い。説得すりゃいいって風潮がある。説得なんてものは脅迫だ。お前は何故納得しないんだと迫る。お前は皆のルールに乗っ取らないんだな、と。脅迫だ。脅迫に屈したものが長時間労働に入り込みつまらない車を買って黄色いラインを超えて前の車を追い越し暴走するのだ。経験がおありで?そう、自然な言葉の流れを会得するのは非常に難しいことです。難しいからこそ挑戦のしがいがあるというものですが。なにせ、体力のない民族ですからゆっくり休んでそのうち体力が戻り次第始めたいのですけれども、その時はなにもかも忘れ去られて。どうせ忘れるのだから、悩まなければいいと言います。忘れたいこともあれば忘れたくないこともあります。それを決めるのはだれでもありません。神様と言っておきましょう。しかし、覚えさせておくことはできます。心に宿すことができます。それこそしつこさでしょう。執念でしょう。