アウトプット

相手の視点に立ってみよう

クソみたいな

 おかしいおかしいと何度言ってみたところで変わらないのだから諦めるほかない。諦める方法を身につければ最強だ。3億円欲しいと思った瞬間に私は3億円を失う。私は天才だと自惚れるのとはわけが違う。理由という資格がなければ何もできない出来損ないは放っておこう。俺は天才だ。他になんの証明が必要だろうか。俺は忘れる天才だ。だから誰も俺に恨みの感情を抱かせることは不可能である。思えば、いらないものを買って経済が回るのだから不思議だ。本当に必要か不必要かを見極めることをしないで買えるのなら買う。お金というわけのわからないものと交換する。行き着く先が見えない。方法しかない。科学的な方法で物事を見たり、宗教的な方法で善悪を判断したりと余念が無い。一番流行るのは損得だろう。損とは誰もしないことをしなくてはならないことであり、得とは皆がやっていることをやれるということだ。損得で動けば楽だ。その代わりに、醜くなってもそれを気にしない。損得で見れば周囲から悪く見られると損だから、損なことはやめ手となると、結局損を取ることになる。損得だけでも生きていけない。生きてはいけるけれども判断がつかない。判断がつかなくても時間は勝手に進んでいる。判断とは自由だろう。自由とは孤独に耐える力だろう。自由を追い求めれば完全に個人の世界だ。周囲から浮いて野暮に見られ損をする。くだらない世評を相手に忙しなく過ごす毎日を新聞屋はおくっている。どうでもいいニュースを過大に報道する。ゴールデンウィーク明けに轢死した高校生のニュースを伝える夕方のテレビのアナウンサーの嘘くさい顔。歪んでいるのは報道機関なのか私なのか。私が死ねば、テレビ局もなくなる。結局自分としか格闘できない。