アウトプット

相手の視点に立ってみよう

女性は社会に進出していないのか

 女性は社会の一員である。そして、すべてが社会的であるとすれば、社会とはなんであるのか。富士山の頂上にある登山者同士の挨拶は社会的だが、転がっている石ころは社会的ではないのだろうか。家に引きこもるニートに社会はないのか。電車で動き回るサラリーマンは社会的なのだろうか。つまり、社会的な、というときに、そこにある差別意識を忘れないでいよう。

 女も子供も社会人だ。そして、社会人であるから要求される期待がある。それに答えないでいるのもアリなのかもしんれない。だって、それは差別意識を植え付けることなのだから。答えがない、だから作り出さなくちゃいけない。

 農業国家が工業国になるのに時間はかからなかった。発展途上国はそもそも農業さえろくにできない。だから、工業化もできない。食料が安定して供給できれば工業化は目の前だ。民族の優秀性を競うオリンピックも、何もかもうんざりじゃないか。

 日本代表の国家代表してものいう態度が気に食わない。うんざりじゃないか。これを読んでいる君も日本人だ。代表だけが日本について語る。つまり、代表民主制だ。これが日本人をダメにしている。個人が委任状を書いてめんどくさい事柄に首を突っ込まない。めんどくさいことを言う人になりたくないからだ。しかし、結局はそれに巻き込まれてしまうんだろう?想像力がないから命令に従わなくちゃならないのなら、今の世界はオワコンだ。命令がそこらじゅうに散らばっているから。

 だから、革命だ。そう、ただ、蹴飛ばせばいいんだ習慣を。

 どうだ。古来の伝統と言って取り戻したのは太平洋戦争に負けて焼け野原になって、それを自由だと言い出す人間の馬鹿げた妄想じゃないか。

 人の話は聞かない。殺し以外は全部やる。それが平和だ。自由だ。気持ちがいい。命令なんてない。会社なんてない。しかし、やる気というのが今の日本人にかけているのだ。互いに、拘束しあって、やる気をそいでエネルギーを削ぎあっている。

 こんな光景は、みていたくない。