アウトプット

相手の視点に立ってみよう

不安に勝つには

 不安からは逃げられない紛らわせるしか方法がない。その一つはひたすら書きつけることだ。書くことで脳みそのコリをほぐすことができる。できるだけ早く書こう。そうすれば変な固定概念をくぐり抜けて、妄想に苦しめられることから脱出する気分を味わうことができるであろう。しかし!読ませるための文章であるのならば自分で思ったことばかり書いてもダメだという意見もあるがそれはない。偏りがあるのが記事だ。結論を用意しなくちゃぶんが終わらない構造上、新聞記事は判断不能に対しても読者への投げかけで文を閉じることができる。素晴らしい。実に素晴らしい。私は人が書いた文章を読むのが好きだけれど、それが御誂え向きのくだらないツイッターで話題になるようなどうでもいい話題ならすかさず羽と張ることにしている。はてなブログも、シンプルにくだらない記事をトップページに持ってくるのをやめてくれればいいのに。どうでもいい記事をみんな書いているんだから。ステマステマ、企業が絡めば全てステマ記事に決まってる。そんなものを誰が読むかよ。絶対に読まない。馬鹿げていると思うかもしれないがこれが私の処世術なのである。しかし、ステマ記事はいたるところに浸透しておりこれを読まない努力は非常な困難を伴うのも確かであるけれども、良真木zが増える分だけ妄想に痛めつけられることもないので非常に素晴らしいのだ。不安んから逃れるためには、眠ること考えることを止めることでもそれができないのなら好きなことをすることに限る。自分に嘘をつき続けて環境が良くなったとしてもそれは後々その場所に居づらくなるのも確かなような気がするのである。人間嘘をついて少しでもいいところへ行きたいと考えるがいいところというのは自分が決めるのである。最大の他社の奴隷になることに抵抗もなく過ごしている人は案外、私のような寡黙な人なのだ。私はひどく説明をするのが困難で相手に理解されることがない。それも相手が理解できる音波で声を飛ばしていないからだろう。私の生態には皆とは違う周波数で喋るという不具合を生じさせる会電波にジャッジされているに違いない。これは多分国家的な規模で行われていて国歌に反対する人に実施される政府保護のための秘密裏に行われている政策であろうとここまで書いてここまで読んでくれた皆様は私が異常者にしか見えないが、国家に監視されていると考えている時点でますますその疑義は深まったと言っても過言ではあるまし。どれだけの人が言いたいことをも言えずに嘘ばかりついて行きているのかと考えるときに、この国において少しは本音を話すことを許される空気が2010年台前半にはあったけれども、それもこれも、ヘイトスピーチがのさばるに当たって倫理的な回帰を目指すようになりついには自由は発言に加えて相手への配慮も必要だと言い始めるほどに倫理ばかりを追求した結果、肝心要の内容は空疎になり勉強を怠りツイッターで人々の意識はまとめ上げられ、政府は自由に国民を監視できる技術力を確保している点において私たちは常に監視されていることを肝に命じて、それでもなお強く行きてそれがどうしたと言わんばかりに声を上げて、嫌なことは嫌だとちゃんと言おうではないか。相手への配慮ということを隠れ蓑にして要求する人たちのなんとなんと私に似ていることよ。私は少し行かれているけれども、世の中には私みたいないかれている人がたくさんいると思うと狂気でしかない。だいぶ人任せにして行きているから相手に求めるのは正常さでもあり異常さでもある。結局はどちらを相手に求めたとしても私自身は相手のポジションに取って代わってなんでも適当に役割を演じるだけのロールプレイングゲームに参加して生き残るだけのまともさは保持していたいものであるし現に今保持しているように感じているのだが、それにしても世の中んユース記事は読んでもらうために刺激的なタイトルをつけて読んでいるうちにイライラするので地面に叩き割ってやりたい衝動に駆られるがそれでハイパソコンがいくつあっても足りないので、そういうことはやめて普段通りにまともに生きようと考えているのだ。要するに優しい言葉以外のことはちっとも相手にする必要がないわけだ。だるい世の中だ。力があれば何も考えずに金を渡せば終わる話なのにね。