アウトプット

相手の視点に立ってみよう

わからなさ

 経験したことでなければ語ることはできない。経験していないことを語るのは不愉快でもある。嘘をついているという実感があるからだ。しかし、嘘を楽しめば別段苦しむ必要もない。特に、五感は嘘をつく。体に騙されている間は喜ばしいが、感覚的な楽しみがなくなれば人間は地獄である。地獄であるというのは比喩で私は地獄を知らない。何も知らない。想像力という言葉さえ虚しい。何も考えずに暮らせる幸せが現代である。苦しみがないのは苦しみを知ろうとしないからであり、喜びを知らないのも同様な不勉強からくる。いったい動機の形成が不明確である。何を言わんとしているのか私自身わからないのだ。何もわからないと言って済ませられればいいのである。それができるのが日本国民であると言ってみたところで虚しい。結語に日本人を持ってくればよかった。少し前は人間だった。社会は個別化してきたのか。人間から国家、民族そして個人とくれば、私はそう思うが君はそうは思わない。これでは自閉症とおんなじ症状である。結局原初の状態に人間が戻っているのであろうと考えると非常にわかりやすい。原書の時代に戻れるだけの悪事を尽くしたので何をすれば失敗してしまうのかがわかった今となれば、失敗しないように永遠と無難に生きることができる。もう、何も覚えなくてもネットで検索すればいい。ただ、記憶の繋がり卯から生まれる気づきは無くなってしまう。情報を組み合わせ生み出す能力がなくなる。それは自分のためである。自分を目的にする必要があるだろうか。わからない。何もわからないと嘆いているのもなぜだろうか。私にはわからない。わからないからと言って知ろうともしないんだからね。ひどいもんだ。