アウトプット

相手の視点に立ってみよう

寡黙の自己弁護

 寡黙であるのは現状認識からの逃避だろうか。現状認識をある一定の社会規範で見る癖が身についてしまえばもうそれから抜け出すことは非常な困難を伴う。頭の固い人たちを見ていると不寛容でベンキョ嫌いである場合が非常に多く本など一冊も読まないでテレビかツイッターばかり見ている。これが私の勝手な妄想であると片付けられても一向に構わないのであるが案外外してもいないという自負心が私に芽生えているのは私自身がそれを体験しているからなのだろう。

 エレア学派のパルメニデスは論理に徹底して物事を見ようとした。論理だけが真実を見ることができるのだと信じて疑わない態度を私も是非とも見習いたい。論理というと記号が思い出されるため文章を記号に当てはめる際に無理が生じるのではないかという漠然とした器具を持っているのであまり論理学の中でも記号を扱う分野は好きではない。。論理的であるのかは文章を読めばわかるのだろうと思うのだけれども、同志でも記号で理解しなくてはならないとすれば徒労に終わるであろう。あくまでも記号は論理を簡便に説明する方法でしかないと私は記号論理に対して距離を置きたい。

 論理で現状を捉えてみれば価値はないのだから何を目指してきればいいのかという啓発本を書くこともできない。目指すということはたどり着いていないのだから不満が生じているように思われる。ゼノンのパラドックスでいえば、動くことはないのでいつまでも目指した目標にたどり着くことはない。だから、目標を立てることができないのだ。なぜなら、目標は到達可能であるはずだけれども到達は不可能であるからそれは夢でしかない。

 

性差別 同性愛者の家庭状況 模範となる父の不在

 「ものぐさ精神分析」には、同性愛者と異性愛者は同じだとあった。同性愛者の家庭には、やはり手本とする父がいない場合が多いらしい。手本がないので生物学的に男であるが、母しか見ていないのでやはり男になりきれない。女っぽくなってしまう。その反動から、マッチョになってしまうらしい。つまり、男っぽいやつは手本がないから過剰に男らしくあろうとするらしい。そうすると、案外ゲイにマッチョで男くらい人が多いのも納得できる。セックスは互いにないものを補う行為でそのあとに興奮がやってくるらしい。男は、女の膣を求め女は男の陰茎を求める。互いにないものを求め合い合体してエロくなる。

 

社会保障論

 社会保障は必要か。俺は元気だから必要ない。給料が減らされるのは嫌だ等々馬鹿な人間たちが大勢いるから社会保障は必要なのだ。一寸先は闇である。本人が不慮の事故で脊髄やられて病院生活になっても社会保障がなければ親戚から煙たがられて生きる他ない。それが嫌なら黙って社会保障制度を充実させればいい。恋人よりも信頼できる社会保障制度だ。口ばかりで何もくれないししてくれない彼氏よりも、社会保障制度は現金給付と現物給付をしてくれる最高の伴侶なのだ。それが金で雇えるのだから最高の執事だ。もちろん、公的扶助を批判するのは容易だ。しかし、労働できない人たちも幸せになってくれることで治安も維持されいい国になるではないか。たくさん戦車や武器を持っている国よりも、社会保障費に金を使っている国の方が豊かであるのは確かであろう。実際に親の愛に恵まれない子供達が大勢いるのだ。子供達を施設で愛情いっぱいに育てるのなら税金をたんまり使っても構わないじゃないか。親が悪いだの子供に言ってもしょうがないだろう。それよりも税金がかわいそうな子供に使われた方がいいだろう。何十億もする戦闘機を買うよりも身寄りない子供達が幸せに社会に参加できる国の方がいいだろう。

アキレウスと亀

 エレア派はパルメニデスに始まるがその弟子ゼノンは彼自身何も主張することなく師匠であるパルメニデスの批判を論破していった。パルメニデスは動くものはないといった。ゼノンは帰謬法でこれを擁護する。

 帰謬法とは、人間は死ぬ。という命題を論証するために、人間は死なないと仮定して、死なない人間はいない。だから、人間は死なないという主張はおかしい。人間は死ぬんだという論証の仕方である。

 他にも、火に水をかけると消える、という命題を論証するのに、火に水をかけても消えないと仮定する。実際に水をかけると火は消える。火に水をかけても消えないというのは嘘だ。だから、火に水をかけると消えるということになる。

 術後の論証であるが、主語の論証にはなっていないのかもしれない。実は土に水をかけていたのかもしれない。死体を死ぬといっていたのかもしれない。

 死体を人間と呼ぶのならば、既に死んでいるのだから死ぬことはできない。アキレスが亀に追いつけないのは、アキレスが亀に追いつかないからだという命題に落ち着く。そういえば、あるものはある。ないものはないという命題があった。つまり、術後の否定を帰謬法ですることで主語の持つ性質も規定しているのかもしれない。

 実際にアキレスは動いていないのだ。

 

 

その人の背中を僕は知らない

 読み手は私だから私に気持ちのいいことしか書かないようにしている。そう入っても誰かが読むときに仮面をかぶって服を着ているので全く世の中には嘘ばかりが蔓延することになる。自分のついた嘘をバレないように義務を履行している姿が散見される。世の中がいいだとかどうだとか、どうでもいい。どうして世の中のことばかり考えているのか。世の中とは私自身ではないか。今日のこの空の青さも五月の新緑も全て私の目が作り出しだのではないか。そう思われてならない。私が手術を受けるときはお医者さんの世界に入って私をいじってもらう。そして、その世界の滞在料金の3割は国が補償してくれる。国は誰が作っているのか。まともな国でいるためには、まともでない国を作る必要がある。そのためには、私たちはまともな国でいなくてはならず、隣国はまともになってもらうと困るのだ。日本という社会のかぶってきた仮面がそろそろ化けの皮が剥がれるのも遠くないところに来ている。他人の仮面を引き剥がそうとする努力を私はしないけれども、中には喜んで加担する人もいる。その人は世界だろうか。世界の住人だろうか。世界とは私自身ならその人も私自身であるはずだ。世界には法則がある。雨が降り気が育つ。花が咲きやがて枯れる。これは私にはコントロールできない現象であり法則性を持っている。なんとか人間にも法則性がないかと見てみる。心理学や統計学精神分析学。確かに人間は他人が欲しがるものを欲しがるという法則性があることがわかった。しかし、それは人間の意志で欲しがらないようにすることもできる。おもちゃも時が経てば欲しくはない。世界も変わるが、私も同時に変わるのだ。私の変化に気がつかないから世界の変化にも気がつかない。どうしても幸せな人は願ってしまう。毎日が変わらぬことを。しかし、毎日は変わっている。そう寝返るのが幸せの一つなのかもしれない。明日はどこで何をしているのか。それもわからずにあてもなく歩き続ける世界。いつ死ぬかもわからない世界で私たちは降伏を覚えていた。南の島で痩せこけた日本兵はそこらへんの男だったのだ。彼らは死の先に輝きを見つめているように思えた。生きながらえて帰って来れば地獄でしかない戦地の様子を語る人は少なかった。私には主張がない。主張がないという主張しかない。意見や主張をコンビニで買うのではなく、実際に作りに行こうではないか。

クソみたいな

 おかしいおかしいと何度言ってみたところで変わらないのだから諦めるほかない。諦める方法を身につければ最強だ。3億円欲しいと思った瞬間に私は3億円を失う。私は天才だと自惚れるのとはわけが違う。理由という資格がなければ何もできない出来損ないは放っておこう。俺は天才だ。他になんの証明が必要だろうか。俺は忘れる天才だ。だから誰も俺に恨みの感情を抱かせることは不可能である。思えば、いらないものを買って経済が回るのだから不思議だ。本当に必要か不必要かを見極めることをしないで買えるのなら買う。お金というわけのわからないものと交換する。行き着く先が見えない。方法しかない。科学的な方法で物事を見たり、宗教的な方法で善悪を判断したりと余念が無い。一番流行るのは損得だろう。損とは誰もしないことをしなくてはならないことであり、得とは皆がやっていることをやれるということだ。損得で動けば楽だ。その代わりに、醜くなってもそれを気にしない。損得で見れば周囲から悪く見られると損だから、損なことはやめ手となると、結局損を取ることになる。損得だけでも生きていけない。生きてはいけるけれども判断がつかない。判断がつかなくても時間は勝手に進んでいる。判断とは自由だろう。自由とは孤独に耐える力だろう。自由を追い求めれば完全に個人の世界だ。周囲から浮いて野暮に見られ損をする。くだらない世評を相手に忙しなく過ごす毎日を新聞屋はおくっている。どうでもいいニュースを過大に報道する。ゴールデンウィーク明けに轢死した高校生のニュースを伝える夕方のテレビのアナウンサーの嘘くさい顔。歪んでいるのは報道機関なのか私なのか。私が死ねば、テレビ局もなくなる。結局自分としか格闘できない。

縄文

 縄文は渡来人が来る前すでに日本列島に生きていた人たちのこと。彼らは山で鹿やウサギを食べたり、川で魚をぶっさしてそれを食って生きてた。朝起きたら森に出かけその日に食うものを探して夕暮れ前には家に帰ってそれを火に炙って食うんだ。食ったら寝る。次の日も、起きたら山に行って鹿を捕まえてその場で殺し運んで家で食う。とにかくなんでも食ったね。食うことが生きがいなんだ。食わなきゃ意味がない。たくさん鹿を捕まえてきたやつはマジで尊敬。そいつのおかげで食べ物たくさん!食べられて幸せになれるんだ。でも、獲物取れない日は鬱だね。でも、雨の日は最高。全裸で外に出て体を洗うんだ。髭剃りなんかないから生えっぱなし。髪もちんげもまんげも体毛だらけ。